松下 弓月

2010.06.04

「非日常性への回路」

松下 弓月 - 僧侶

「今日はお坊さんと食事に行きます」なんて友人に言うとびっくりされるのですが、松下弓月さんは平塚宝善院の副住職であり、超宗派仏教徒によるインターネット寺院、彼岸寺のメンバーでもあり、最近ではUstreamなどでも積極的にイベントを企画運営されています。とは言え、都度仏教の話をしているわけではありませんで、文芸のことや漫画やゲーム、ITやネットのこと、仕事やライフスタイルのことなど、ざっくばらんに色々な会話を楽しませていただいています。そんな松下さんに今回は改めて今を生きる僕らに取って仏教とはなんなのかうかがってきました。

宝善院、彼岸寺、Ustream

【加藤】 宝善院さんはどういうお寺なんですか?

【松下】鎌倉時代にできた真言宗のお寺で、800年くらいの歴史があります。元々は北条家の関係のお寺で、その後、徳川家の家臣のお寺になり、平塚が東海道の宿場町でしたから、お侍さんたちが泊まる本陣の菩提寺だったので、大名行列が来た時に泊まったりするようなお寺だったんです。

【加藤】 宿場だったんですね。

【松下】そうですね。割合、歴史のあるお寺なんですけど。

【加藤】 ここでの役割というのは?

【松下】ここでは副住職ということになってます。元々、このお寺が実家なので、まあそのままということですね。

【加藤】 一方で彼岸寺の方もお仕事があるということですよね。

【松下】そうですね。彼岸寺は元々、お坊さんになることを決めたくらいの時に、今仏教界どんな風になっているのかなということを、ネットとか本とかで調べていた時に見つけたサイトです。

【加藤】 もう先に始まってたんですね。

【松下】そう、2003年くらいの時に今中心メンバーの一人である松本が元々個人サイトとして始めたサイトです。ブログがちょうど日本に入って来たときに、お坊さんがブログをやっているということで、すごい珍しいなと思って読み始めて。お寺でライブする「誰そ彼」というイベントがあったので、それに行ったりしていました。だけれど、修行に行って1年くらいネットのない生活を送って、帰って来て、大学院を休学していたので復学して、もう一回彼岸寺を見てみると、本とか出していて、面白そうな活動をしているなあと。

【松下】大学院卒業が近づいてきて、どうしようかなと思っていた折に、編集の仕事とかしたかったので、編集の講座に通ったんですね。その講座の卒業制作の時に、彼岸寺を取材に行き、松本と話をし新橋の魚金という魚の美味しい飲み屋さんで二人で飲んで話をして、色々彼岸寺の話を聞ききました。一通り終わったのでここら辺でお開きにとなった時に、当時松本が神谷町に住んでいて、私が都立大学に住んでいたので、じゃあ神谷町までタクシーで一緒に帰りましょうということになり、タクシーで神谷町まで行ったんです。そうしたら、そこに美味しいビールを出すお店があるんだけれど、話になって、そのままビールを飲んで終電もなくなったので松本の家に泊めてもらい、いつの間にか、彼岸寺じゃあ一緒に何かやりましょう、ということになったんですね。

【加藤】 最近やってらっしゃるUstreamとかも彼岸寺の活動なんですか?

【松下】実験的にやってから彼岸寺の方に持って行こうと思って始めました。最初は割合お坊さんだけ集めて話を中継するというのを何度かやって、その後からは彼岸寺で連載をしている坊主めくり、お坊さんにインタビューをするという連載なんですけど、それのライターをしている人と一緒に企画をしてやってきたので、彼岸寺の中に近づいてきている感じです。今度は彼岸寺でトークイベントを定例で月一回くらいやろうという話をしているので、本格的にUstreamやっていこうという感じになっています。

【加藤】 僕も松下さんと知りあってから、Twitterとかでも仏教系の人たちが会話をしていることを知ってびっくりしました。

【松下】今度、雑誌にネットと仏教の関係みたい記事を書いていて、Twitterのことにも触れていて、「仏教関連ユーザリスト」を作っていたんですけど、今320人くらいいるので、結構増えましたね。

【加藤】 お坊さんに限らず、ということですかね?

【松下】限らずですね。お寺好きとか、瞑想してます、というような人も含めてですけ。

【加藤】 UstreamとかTwitterだとワァーッと色々な人の意見が流れてすごいですよね。

【松下】ライブ感が素晴らしいですよね。今までもAppleの発表会の中継なんかあって、夜中なんかに観るんですけど、昔はEngadgetとかTechCrunchとか海外の技術系のサイトを夜通し再読み込みし続ける、みたいなことしかできなかったですよね。それがTwitterが出てきたことによって、「オースゲーJobs出てきた!」みたいなことがJobs登壇の瞬間にわかる。同じように書いている人がいて、そういう人と会話したりしていると、ネタは何でもいいので、リアルタイムにやり取りしているということの楽しさがすごくあるなあというのは最近気づいたことです。

【加藤】 そう考えるとコンテンツより、まずイベントなのかも知れないですね、イベントやらないとUstreamできませんし。

【松下】イベントとかやる時に一番考えているのは、中身あるものを作るというのは、勿論作れたら一番いいんですけど、コミュニケーションのネタを提供するということを考えています。自分達がその場に出てきて話したりすることによって、それについて話してもらうのもいいんですけど、そこから出てきたトピックについて、全然それまで関係なかった人たちの間で会話が生まれるようにしたいなと思っているんですよ。それが何回かやっていくうちに、できてきているという感覚もあったりして。

【加藤】 僕もたまに乗っかりますしね。

【松下】加藤さんもそうだし、全然仏教に興味がなかった人も、Ustreamのイベントとかを見ていて、なんかコメントをつけると、それにお坊さんが反応したりして。全然お坊さんと縁がなかった人とお坊さんが会話したりする、ということが生まれたりしているので、すごい面白いですね。

【加藤】 個人的な認識としてですね、僕らの世代って生まれた時に宗教を信じるとか信仰を持つことが必然じゃなかった世代だと思うんですよ。松下さん自身はお坊さんになろうっていうのは、家のお仕事だったからということですか。

【松下】その辺、全然なくて、お寺に産まれたんですけど、多少散発的に仏教に関わるような機会はあったんですけど、例えば父親が食事の時に仏教のお祈りをする提案をしたりとか、でもあんまり長く続かなかったですね。高校生の夏休みに知り合いのお寺に行ってお経を勉強してこいと言われ、何回か行ったんですけど、すぐ終わちゃったりとか。そういう経験はあったんですけど、長男なので、跡継ぎといえば跡継ぎなんですけど、そういうことは全然言われたことがなかったし、継ぎたければ継げばいいし、継ぎたくなければ継がなくていい、という親のスタンスだったので、自分自身も全然継ぐつもりはありませんでした。文学やって文学研究者になりたいということはずっと思ってましたし、お寺の中には住んでいたんだけれども仏教に触れる機会というのは本当になかったですから、むしろ大学に行ったりとか、小学校の時からYMCAのキャンプに行ったりしていたので、キリスト教に触れる機会のほうが個人的には多かったくらいです。

日本人にとっての聖性

【加藤】 今、宗教を持つ持たないっていうことを意識すらしないようになりつつあると思うんですけど、今のお坊さん的にはどう思っているんですかね。

【松下】宗教に関わりを持っているということの物差し自体が、すごく狭いと思うんですよね。キリスト教的な宗教観がすごく広まっているかららしいいんですけど、宗教を持つとか宗教に関わるということが、特定の教団に所属することという捉え方をされてるじゃないですか。私は宗教を持ってますというと、何々教の信者、ということになるわけです。組織構造化されたものが宗教だ、という捉えられ方がすごい強いと思うんです。

【松下】でも実際は宗教に関わるというのは、尺度が狭いものではなくて、例えばお正月に初詣に行くと。あれだってかなり宗教的な行為をしているわけですよね。神社とかお寺に行って、今年一年健康でありますように、みたいな祈りを捧げているわけじゃないですか。それは明らかに宗教的な行為をしているわけだし、そういう宗教観を持ってない人にとっては全然自然な行為じゃないわけですよね。例えばクリスチャンの人にとっては神社に行ってお参りをするというようなことはない。神社に行って、ただ見るだけ、手を合わせない。前、経験があるんですけど、クリスチャンの人にお寺にお参りに来ていたので、手を合わせないんですかと聞いたら、私はクリスチャンなのでそれはしません、と言われたりするんですよ。自然と手が合うというのは、自分の中にかなり宗教的な文脈というのが内面化されいるわけです。それのことを宗教を信じているという言葉だけでは捉えきれない、と思うのです。

【加藤】 信じる、ということと、所属する、ということでは、こちらに要求される覚悟も大分変わってきそうですよね。

【松下】元々日本の宗教とか信仰のあり方というのは、組織宗教化されたものではなくて、ものすごく曖昧なものだったんです。西行法師が伊勢神宮に行った時に詠んだ歌で、日本人の宗教性を表す有名な歌があるんです。伊勢神宮で詠んでるから西行法師がそこに何が祀られているか百も承知らしいんですが、「なにものの おわしますかは しらねども ありがたさに 涙こぼるる」と。何がそこにいるかはわからないんですけど、とにかくありがたい、というのが日本人の宗教性だと昔から言われていて、どうもこれは神道というのが、元々自然宗教で、組織化されたものではないし、特定の明確な教義があったわけでもない宗教なんですよね。人と人の結びつきを作るというのが神道というものの元々の機能なんだと。地縁、血縁みたいなものを作るためのもので、特定の神様を信仰するというのはそれほど強くなかったらしいんです。日本人の元々の宗教性がずっと続いてきている中に、キリスト教的なものさしで宗教を捉えるということがインストールされてしまったので、そのものさしで測ろうとすると、自分達が元々持っていた宗教性というのはそのものさしの外側に出てしまうと。抜け落ちてしまう。捉えきれない状況になってしまうということじゃないかなと思います。

【加藤】 僕みたいのが「宗教とはなんぞや」と考えてみても、自分の中に何の定義も持ってなかったりするんでしょうね。

【松下】やはり何に対して聖性、聖なるものを感じるかというのは、文化によってすごく違うし、自分達が無意識のうちに感じているものって、そんなに自明のものじゃないわけですよね。例えば、日本人は神社とか山の中に行ったりとかすると、清浄な感じがするというのはあると思うんです。でもそれは日本人じゃないと感じられなかったりするもの。中沢新一氏の『アースダイバー』という本があります。今の東京の地形を一万年前の縄文時代の地形と組み合わせると、縄文時代に東京は色々なところに水が入り込む、リアス式海岸みたいな地形だった。その時に入江の奥まったところというのが日本人にとっての聖なるところと感じられていて、聖と俗の境界地みたいな感じで、そこには昔から聖地があって、色々なお祈りがされてきたりしたんだけれども、それが現代になってもお寺とか神社の形で残っている。今の東京も近代的な街の風景をはがすと、そこには縄文時代から続いている日本人の宗教感覚みたいなものが、未だに残っているのが見える、という話がされています。奥まっていて、森があったりして、湿っている場所、というのが日本人が聖性を感じる場所。

【松下】翻ってインドに行くと、インドは乾燥してますよね。だだっ広い。そこでどういう時に聖性みたいなものが立ち上がってくるかと言うと、だだっ広いところに巨大な建造物が出てきたりして、カラカラに乾燥している。そういうところに聖性を感じたりするらしいんですね。仏教の聖地巡りを去年した時なんかも、日本人が感じるここは聖なる場所だなあという感覚からはまるで真逆なんですよ。普通に仏教の聖地だということを知らないで行ったら、どうなんだろうと。意識はしていないんだけれども、自分の中に持っている文化的な宗教性というのはあると思うんですよね。

【加藤】 文脈としては持っているんだけど、嗜みとしては忘れかけているみたいな話なんですかね。

【松下】身体性がすごい関わってくることだと思います。身体性としては残っているんだけれども、理性の方でそれを捉えられなくなっているので、なんかわからない、というようなところがあるんじゃないかと思います。

【加藤】 身体性の一方で、所属という話も出たのですが、この国は所属を求める国だと思うんですが、そんな中で宗教はどうあるべきなんですかね。

【松下】宗教は自分の中にあるような、形にならないエネルギーとか、ドロドロと蠢くようなもの、それを引っ張り出して育てていくことではあるんですけど、それをある程度の形にして行こうとすると、どうしても組織化ということからは逃れられないとは思うんですよね。

日常性にひきこもらない

【加藤】 日本人って精神的に困難に対して楽天的になれない性質があるというか、結構真面目に悩んじゃうところがある気がしているんですけど。

【松下】日常性から逸脱するような回路というものを、どれだけ持ってられるかだと思うんですよ。キリスト教圏であれば神という絶対的な存在があって、そこに繋がるという回路があるんだろうと思います。日本人の場合は「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」という日本人の宗教性の生活形態を3つに分類するような言葉があります。ハレはお祭りの時ですよね。ケは日常で。ケガレというのはなにかその負の非日常性ですね。死に関するものとか血液に関するもの。日本人はこの3つの間を行ったり来たりして生きていた。普通の日常生活の中でたまにお祭りみたいな時があって、その時だけ触祭的な空間なり聖性に触れるんだけど、また日常に戻ってきて。たまには人がなくなったりしてケガレになったりするんだけれども、身を清めて元の日常に戻る。こういう往還運動があったから、日常性の中でがんじがらめになるということがなかったわけですよね。それが今は宗教性というものが、危険なモノ的な捉えられ方しかなくなってしまっているので、日常の囲いの中から外に出られなくなってしまっている状態だと思うんですよね。

【松下】それって非常につらいことだと思うんです。生きていくのは楽なことばかりじゃないですから、大変なことが沢山ある中で、日常性から抜けられない。そこから逸脱して開放感を得たりというようなこともできない状態にある。それを何かもう一度取り戻すような回路というのはあった方がいいんじゃないかと思います。

【加藤】 そういう日常性という意味では、実は日本人の多くは「ヒキコモリ」状態にあって、日常性から逸脱できないというのは精神的に鬱屈してしまう環境に身を置いてしまっているのかも知れないですね。

【松下】法律というのは世界のごく一部分を記述しているのに過ぎないですよね。それが世界の全体であるかのように捉えてしまうことによって、その外側に出た時の喜びもそうだし、色々な嫌なことも起こるんですけれども、そのこと自体をオミットしてしまう。それを両方ともなくすかわりに、確実性の高いような、予測可能な人生だけを送っているところはあるんじゃないかと。

【松下】なんでもかんでも人間がコントロール可能な状態に置こうとしているようなところがあると思うんですよ。法律とか、個人の上位の概念によって、全てモゴモゴしたものが回収されて行く。回収されないものに関してはどうしょうもない、というような状況なってしまっているような気がするんですよね。

【松下】もともと法律もそうだし国もそうだし人間がコントロールできることというのはごくごく一部でしかなかったはずなので、そもそもコントロールできないんだという前提で生きた方が、とんでもない不幸が起きた時にも対処はしやすいんじゃないかなあ。

【加藤】 論理的に正しければ正しいみたいなことって、人間論理で生きてるわけじゃないのに、議論に情緒を排除するみたいなところがあって、それって正しいのかなあと。

【松下】社会というのは人間の手の外側にあるものなので、それとどう折り合いをつけていくのかということを一番考えないと、人間なんて全部計画して生きていても明日死んじゃうかも知れないですからね。それを忘れて人生とか社会を設計しても、コントロール不能な要素によって、結局は破綻してしまうと思います。

【加藤】 今日本当は日本における今後の宗教の意味合いみたいなことをうかがおうと思ってたんですけど、まさに今おっしゃってたようなことかも知れないですね。

【松下】究極のセーフティネットですよね。どんなに外側に出ても、どんなに有り得ないことが起こっても、社会ではとても吸収できないようなことも、受け止めることができる。

【加藤】 日本のオフィス街歩いていると、日本人が一番不幸せそうな顔をしている。

【松下】もっと羽目外した方がいいですよ。社会的な日常性から開放されるような回路がないと。

【加藤】 僕も週末のラグビーで救われてます。

【松下】サラリーマンの人達ももっと副業どんどんすればいいと思います。会社で言われたものばかり作っているとか、用意された仕事ばかりしているのって、すごい苦痛じゃないですか。その代わりに自分のやりたい仕事とかを週末にするとかいう風にすると、本当に楽しいし、可能性としても広がると思うので。

【加藤】 そういう意味では松下さんて副住職のお仕事だけじゃなくて彼岸寺やってたりUstreamやってたりしておられますが、あの辺て感覚的には副業なんですか?

【松下】その辺は全然シームレスですよね。むしろお寺の業務というのは、普通のサラリーマンの仕事とそんなに変わらないですから、そこの方が副業的な感じですよね。私は僧侶なので、仏教のことをやるのが本業のように思っているので、それの周辺的なお寺の運営とかは副業ですよね。

【加藤】 世の中的な本業と副業という切り分けが、自分にとっての本業と副業という切り分けに一致している必要はないというか。

【松下】仕事なんか結局食べていければいいわけで、食べていける分以上は、後は好きなことしていればいいわけじゃないですか。会社の給料とか我慢料だとか言いますけど、それもすごいなあと思っていて、それって会社に全部預けてしまえば、最低限の給料は保証されるし、後は自分でどうやって生きるとか考えなくて、会社に依存していれば、とにかく目先のことだけは進んで行く状況だと思うんですよね。思考停止する代わりに、お給料もらってるみたいな感じだと思うので、宗教って結構、カルトにはまってとか言われますけど、会社だろうが宗教だろうが結局やっていることは一緒だと思うんですよ。

【加藤】 所属を担保にお金をもらっているという構造では全く何も変わらないですね。

【松下】その辺は宗教に対して危険だとか危ないということ、自分自身の思考停止ということに対する合わせ鏡になっている状況というのが、日本の社会が活力を持っていかないということに繋がっている気がしますね。

【加藤】 失業率が上がったり、会社に所属しない人が増えてくると、仏教の役割ももしかしたら変わって来るのかも知れないですよね。

【松下】皆もっと社会が嫌だったら出家しろ、と思いますね。

【加藤】 あ、なるほどね。

【松下】それくらいの勢いで社会の外側に出て行ってしまえばいいと思うんですけどね。そんなに嫌なら何をしがみつく必要があるんですかという。

【加藤】 それも一つの独立ですよね。

【松下】何か会社とか、色々なものを預けることによって、メリットがあればそれはいいですけど、メリットがなくなってきているんだったら、もう預けているものを自分で引き取れば、と思います。

彼岸寺と仏教のこれから

【加藤】 今後の彼岸寺についてはどんなことを考えてらっしゃるんですか?

【松下】彼岸寺は色々なメディアに出たりするので、そこで得たアテンションを、良い仏教者に振り分けていきたいと考えています。彼岸寺で集めて、ここにこんな良いお坊さんがいるんですよと紹介することによって、お坊さんと普通の人の繋がりを作っていきたい。

【加藤】 インキュベーターみたいな感じですね。

【松下】今まで使っていたリソースが良い面ももちろんあるんですけど、メリットと同時にデメリットも色々なところであると思うので、であれば全然違う回路を使うことによって、元々あるリソースの良いところも悪いところもあぶりだした方がいいんじゃないかと思っています。檀家という繋がりがあるんですけど、制度的に300年以上経ちますから疲弊しているところもあるわけですよね。疲弊しているんだけれども、それだけ続いてきた中で、良いところもたくさんあるので、その良さをどう再発見するかが重要です。そのためには外の別の回路を使うことによって、元々の良さというのが見えてくるんじゃないかと思うんですよね。

【松下】色々な関わり方を作ることによって、それぞれの良さも見えてくるし、人と人の繋がりも強化されて行くことになると思うので、そういう風にしていきたいですね。

【加藤】 最終的にはというか、今の檀家制度の次の形を考えていかないといけないという問題意識はあるんですかね?

【松下】一つにはお坊さんがお坊さんらしくあれる環境を作りたい。お寺の住職って中小企業の社長みたいなものなので、すごく日常の雑務みたいなもの多いんですよ。修行したいのにお坊さんが住職一人しか居なかったりすると、どこどこ山に一週間こもって来ますみたいなこともできない。お葬式ができました、って言ったら戻らなければいけないですから。それを改善しようと思うと、弟子を作ったりということが考えられるんですけど、それもなかなか難しいわけですよね。なので、ある程度、自分がお坊さんとして修行に専念したいんだと、そういう人がいたらその人を支えられるような仕組みを彼岸寺としては作っていこうということは目標の一つとして考えてます。

【松下】それと同時に一般向けだと、仏教に関わるという関わり方を、最近は大分広がってきてはいるんですけど、檀家になるとか、お坊さんになるとか、関わり方の種類が少なかったんですよね。その回路を増やすことによって、色々な関わり方ができるようにしたい。仏像が好きだからとか、写経に興味があるとか、お寺で滝に打たれたいとか、修行したいひとのためのコースを作る。仏教の教えを学びたい、そうであれば講義の場所を作ったり、情報を出していったり、お坊さんになりたいという人には、こうすればお坊さんになれますよということだったり、色々なコースを明示することによって、仏教と人の関わり方を多様にしたい。

【松下】仏教が特定の人だけの物になっていると、仏教徒はこうであるとか、こういうものでなければ仏教ではない、というようなことが言われたりしているわけですよね。仏教が色々な人のものになることによって、それとの関わり方というのはどんどん増えていくものだと思うのですよね。色々な人にとって、自分と関わりのあるものだと思われると、それを使って色々な関わり方が出て来ると思うんです。自分なりの関わり方というのが出てくるので、それをもっと広げたいんですね。

【松下】宗教性が深い国というのは、宗教を笑うことができる。それくらい宗教性の深い国にしたいなあと。宗教にきちんと知識を持って、ここまでだったら大丈夫というのがわかれば、笑いにもできる。『聖おにいさん』みたいなものが、もっとたくさん出てくるような状況にできたらいいなと思います。

【加藤】 今日、僕取材に来て初めて、「宗教に関われた感」が持てた気がします。

【松下】どんなやり方でもいいと思うんで、自分から能動的に宗教に関わるとか、コンタクトしてみる、という人が少しでも増えたらいいなと思います。

松下 弓月。1980年、神奈川県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業、青山学院大学大学院英米文学研究科博士前期課程修了。

東寺伝法学院にて、加行・潅頂。現在、東寺真言宗・宝善院副住職。インターネット寺院「彼岸寺」で、ウェブを使った仏教の発信やコミュニティ作りを行っている。共著に、『お坊さんはなぜ夜お寺を抜け出すのか』(現代書館より近刊)がある。

Buddhistlife.net
http://buddhistlife.net/

虚空山彼岸寺
http://higan.net/

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「コミュニケーションの今」

僕がいつもと少し毛色の違うプロジェクトにアサインしていただいた時に、そのプロジェクトでお世話になったのが、「ソーシャルおじさん」こと徳本昌大さんでした。お仕事の合間にET Luv.Lab.のことをお話ししましたところ、快…

2011.04.12
すわ だいすけ
「Still Together」

3月11日、地震がありました。今も余震や原発事故など、予断は許さない状況ではあると思います。いつまでも休眠させずに、ET Luv.Lab.も動かしたい、でも地震の後に、その話を避けて通らず、でもET Luv.Lab.らし…

2011.03.04
迫田 大地
「人と情報のパッシング・ポイント」

WEBデザイナーの迫田大地さんと付き合いだしたのは遂最近。実はこういう仕事をしている癖にWEBデザイナーの知り合いってとても少ないんです。しかし話してみると、同じ80年生まれということもあり、WEBの入り口から、仕事に転…

2011.02.19
丸岡 和人
「次代の起業家精神を描く」

丸岡和人君とは、今は無き、「用賀エンジニア焼肉」で何回かご一緒して以来のご縁です。何となくお互いの仕事を知ってはいたし、出身校も一緒だったので、シンパシーは感じていましたけど、よくよく考えれば今回の取材が2人で仕事につい…

2010.12.09
小島 希世子
「火の国の女、肥の国の母」

小島希世子さんとは大学時代の親友で、ともすれば悪友で、お酒を飲みながら20歳前後に議論を交わした朋友です。農業の世界を生業にする数少ない友人で、僕もいつも勉強させてもらってます。 2年前の法人設立の際には、僕もCIやWE…

2010.11.11
原田 均
「社会にコミットするエンジニア」

グラウンドの仲間シリーズ、原田均君は28歳にして既に検索プラットフォームを手掛けるネット企業のCTOで、この夏、僕も会社のWEBサイトを手伝わせてもらいました。原田君の世界を放浪した話、などもかなり面白いのですが、今回は…

2010.10.07
津下本 耕太郎
「関係性の仕掛け人」

津下本耕太郎さんは数年前に共通の客先でお知り合いになって、なかなか興味分野がかぶっていることもあり、同年代ということもあり、気が付けば意気投合していたという、ビジネスとも言い切れない、プライベートとも言い切れない不思議な…

2010.09.25
三橋 ゆか里
「I am a TechDoll.」

後輩が独立したと聞き、会ってみたのが半年前。それからあれよあれよという間に活躍されているのがウェブディレクターでライターの三橋ゆか里さんです。先日もYahoo!ニュースに三橋さんが書いた記事が載っていたらしく、一緒に飲ん…

2010.07.01
須藤 優
「面白い人を拡張する」

形式は違えど、JunkStageというのは、ET Luv.Lab.の良い見本なのだと思うんです。56名のライターを抱え、コラムサイトを運営しつつ、フリーペーパーを出したり、イベントをしたり、新しいサービスも始まるようです…

2010.06.04
松下 弓月
「非日常性への回路」

「今日はお坊さんと食事に行きます」なんて友人に言うとびっくりされるのですが、松下弓月さんは平塚宝善院の副住職であり、超宗派仏教徒によるインターネット寺院、彼岸寺のメンバーでもあり、最近ではUstreamなどでも積極的にイ…

2010.05.15
福山 泰史
「アマプロ混在の時代に思うこと」

同世代で自分よりフリーランサー歴が長い人、と言うと、実はそんなに多くはなかったりするのですが、音楽プロデューサーの福山泰史君は僕より2つ年下。 20歳の時に独立し、それから9年もの間、フリーの音楽プロデューサーとして業界…

2010.03.09
児玉 哲彦
「アーキテクチャからデザインする」

児玉哲彦さんとは母校のOpen Research Forumというイベントでゲリラトークセッションに飛び入り参加させていただいた時に知り合いました。それから何度かゆっくりお話をする機会が持て、僕はビジネス寄り、児玉さんは…

2010.02.25
神谷 真人
「芝居と生きる、芝居を生きる」

3年B組16番加藤康祐、3年B組17番神谷真士。中学のクラスメイトで、出席番号が並びだった神谷君と再会したのは社会人になってからでした。話を聞いてビックリ。「脱サラして舞台俳優をしている」とおっしゃる。ある意味、僕とはフ…

2010.02.23
野口 尚子
「余白を埋める、余白を作る」

各所で話題の僕の似顔絵入り名刺ですが、実は印刷の余白Lab.の野口尚子さんにコーディネートをお願いしたもので、ブラックメタリックの箔押しにグレーのラメ入りの紙がお気に入りで愛用させてもらっています。独立前に知り合いました…

2010.02.09
小林 朋子
「Twitter文化はサロン文化」

サヴォアール・ヴィーヴルって言葉、初めて耳にする方も多いのではないかと思います。鎌倉でサヴォアール・ヴィーヴルサロン、ロザリウムを主宰されている小林朋子さんは、ETの古くからのお客様で、ご家族の皆様にもいつもお世話になっ…

2010.02.05
北山 朝也
「エンジニアリングと幸せの定義」

ET Luv.Lab.記念すべき第一回目ゲストはエンジニアの北山朝也君です。北山君とはグラウンドで一緒に汗を流した仲でもあり、社会人になってからも折々で酒を酌み交わしがてら話をしあう親友です。北山君とは付き合いが長いです…

2010.01.27
加藤 康祐
「人がメディアになる時代」

ブランディングの仕事をしていると、結局最終的にはブランドの価値がいかにして、「人」に反映されるか、ということに勘所があるように思います。何か同じようなことが、スゴイ勢いで情報の世界にも起こっているな、ということを下記の文…