小島 希世子

2010.12.09

「火の国の女、肥の国の母」

小島 希世子 - 株式会社えと菜園 代表取締役

小島希世子さんとは大学時代の親友で、ともすれば悪友で、お酒を飲みながら20歳前後に議論を交わした朋友です。農業の世界を生業にする数少ない友人で、僕もいつも勉強させてもらってます。

2年前の法人設立の際には、僕もCIやWEB周りも立ち上げの時だけですがお手伝いさせてもらいました。それから2年、農業と子育てと、逞しく靭やかに活動を続ける旧友に、彼女の今を語ってもらいました。

株式会社えと菜園

【加藤】 えと菜園って名前だけ聞くと、「農園」というイメージを持つ人も多いと思うのだけれども、何か色々やっているよね?

【小島】まず、環境にやさしい栽培をした農家さんの農作物を、農家直送のネットショップ、カタログ通販。後は家庭菜園塾。「チーム畑」という農薬とお金を使わないいずみ野でやっている活動。後は生産を熊本で。

【小島】肥後野菜と言われる伝統的な野菜で、農家さんって普通F1種という種を使っていて、それは一回買ったら次の年も買わないといけない交配種なの。

【加藤】 ああ、「かけ合わせ」みたいな。

【小島】うちの伝統的な野菜は種取りをして、次の年も次の年も使える。ただ、市場からは結構消え去っていて、市場にはなかなか出ない野菜で。

【加藤】 もう3年目?もっとか。

【小島】ネットショップ自体が今度6年目。

【加藤】 そうかネットショップを始めたのが5年前で、えと菜園になったのが2年前?

【小島】そう、法人化したのが2年前。

【加藤】 どうですか、この2年で周りのこととか変わりましたか。外で喋る機会とか増えたでしょう?

【小島】ああまあ多少はw。

【加藤】 あと農業をビジネスとして成立させていかないといけない、みたいなことは大変だよね。

【小島】うん、大変。

【加藤】 ほぼ今個人に近いじゃないですか動き方自体は。出て行くお金見ながら業務も実行していかないといけないわけでしょう。

【小島】そう、バランスを見ながら。もっと資金があったら、これできるのにあれできるのに、というのもあるけど、出て行くお金と入って来るお金を見つつ、借金はせずに経営していきたいので。

【加藤】 組織を大きくするというよりは、やりたいことをやれるようにするというところだよね。

【小島】何に私が使命感を感じてやっているかというと、農家さんのものをお客さんに届けました、お客さんからありがとうと言われたことを伝えると、農家さんが喜んでくれたり、売ってくれてありがとうと言われたりすることに使命感を一番感じながら、日々仕事しています。

【小島】「こんな美味しいベーグルは生まれて初めて食べた!」と言ってくれるお客さんの声、農家さんのファンになって食べ支えてくれるお客さんの声、お客さんの声を、農家さんとかベーグル職人のあだまんと共に分かち合って喜べるってことに、やりがいを感じてるよ。

農業に魅入られた

【加藤】 それはあれでしょ、今までの農家さんはある種ハッピーじゃないところがあるという問題意識があったわけだよね。いつ火がついたんだっけ。

【小島】もともと農家になりたくて。小学校の時にうちには乗用車しかなかったんだけど、近所には農村地帯なのでトラクターもコンバインもあって、かっこいいやんと。しかも昼寝するのみんな。お昼食べに帰ってそこから一時間昼寝して、午後もゆったりと作業したりするから、農家の家は家に親がいる。うちは学校から帰っても親は家にいない。

【加藤】 そうだよね。学校の先生だものね。

【小島】そういうのいいなあと思ってて。それで柔道を始めて、結講減量が大変だったんですよ中学生の時に。その時小さい頃見た、飢饉、餓死する子供の番組を見て、これ減量でこんなにお腹減るのに、お腹すいて死ぬってあり得ないと思った。当時は砂漠でも育つ農作物を作りたくて大学は農学部を受けて落ちて、一浪しても入れなかったので、違う大学に進んだの。

【加藤】 それで僕に出会ってしまったわけですねw。

【小島】そうですw。それで大学時代もウロウロしつつ、農家になりたいと思って、就職活動は農家さんを回ったんだけど、絶対ならないほうがいいよ、絶対食えないからと言われて。親がトラクター、コンバイン、土地持っているならまだしも、うちは土地だけはあるけど道具はないし、農法も親から教えてもらえないってなると、一代でやるって難しいと。その時も有機栽培だったり無農薬のところだけを回ってたんだけど、その時に農家の奥さんにうちは農薬一回使って除草剤も一回使って後は全部手作業でしてるのに、農薬を普通にバンバン撒いているところと同じ一俵一万円なら一万円で、その中で旦那は自分のこだわりがあるから続けるけど、努力も馬鹿馬鹿しい仕事だよと言われて。

【小島】じゃあ、きちんと作った人がきちんと評価されるような農作物の流通の仕組みを作ろ売ってことで最初ネットショップを立ちあげて。

【加藤】 流通の方の修行もしてたよね。

【小島】流通は国産の農作物を扱う会社に。その後、有機農業の生産者グループの会社でお手伝いをさせていただいて。

【加藤】 意外と思いつきでやったのかと思いきや、段取り踏んでるよね。

【小島】段取り踏んでますよ、一応w。

【加藤】 流通の勉強もして、小売の勉強もして。

【小島】たまたまだけど、たまたま。立ちあげ当初は農作物関係でバイトして他でも色々バイトして自分のやりたいことをやってたけど、ある日突然、もう農業以外のバイトはしないと決めた時があって、農業に関わること以外は生計を立てるためにもやらない、それが勉強になって。

【加藤】 それはある種の覚悟ですよね。

【小島】そうそう、この道で生きて行くぞという。私の個人的な将来の展望としては、50歳くらいで熊本に戻って農業がしたいというのがあって、50歳になったときにえと菜園が全部買ってくれるから、自分は畑だけで土とだけ向き合っていればいいという状態を作りたい。安心して作って、全部買ってくれるから。売る心配しながら作るのって酷だし、今だって入って来るのと出て行くの考えながら売り続けていかなきゃいけないし、そうじゃなくていいものを作ればそれだけ評価される仕組みを作りたい。

【加藤】 自分が得意で自分が好きな分野で各々が頑張れば、それが回っていくという仕組みにしたいということだよね。

【小島】最初はそれで始めたんだけど、やり始めたら農家さんに喜んでもらえることに使命感を感じるようになったんだよね。

先生と子育てと

【加藤】 あと希世子の話を聞いているとロビンソンさんの存在はデカイよね。

【小島】うちはロビンソン先生がいないと成り立たないから。家庭菜園塾を始めましたと。それは何でかって言うと、うちは生産者とお客さんの距離を近づけるということに取り組んでいるわけだけど、一番お客さんに農家さんの気持ちになったり、農業を知ってもらうためには、土に触るのが早い。大根ってもともと土に埋まっているから汚れてるのかということを知らない人がいる時代。農薬使わないってこんなに大変なんだとか、虫って作んだねとか知ってもらうことで、農業をしながら勉強をする。自分も勉強をしようということで多摩川のロビンソン先生のお世話になっていると。

【加藤】 多摩川のロビンソン・クルーソーに。

【小島】あの人はとても自然を愛する人で、動物、子供、生き物大好きっていう。自然を愛する人。先生が言うには温暖化って今教科書に載ってるでしょ?小学校の。でも温暖化ってなんで温暖化がいけないのかていうのを実感させてないから意味がない。一番いいのは畑に来れば農作物の周期がずれてきてたり、生き物が死んじゃうんだよとか、生命について教えればいいし、生命について教えるには畑が一番良いんですよと。いい人でしょ?癒されるよ。

【加藤】 希世子が先生、先生、って言っているのは結構珍しいなと思って聞いていて、あまり今までの人生の登場人物に自分の親以外の先生を出してきていかなかったから、先生って言ってるのは、ああやっぱり尊敬しているんだなあという感じはするよね。あと、子育て始まって変わった部分もあるんじゃないですか?半分農業、半分主婦、とは言えそれぞれ半分で済む話じゃないでしょう、単純に2倍になるのかも知れないし。

【小島】なんか混在しているから何とかできてるかな。自分のやっていることは将来の子どもの世代のためになるし、自分が野菜の勉強したり自分の手を動かしてなにか作っても子どもが食べるから、自分の仕事の中で自分の子どもが普通経験できないようなことを経験できるから。いい野菜を食べさせられたり、畑や多摩川に連れて行ったり。

【加藤】 それはなんか同じ文脈でやってるんだね。子育ても仕事も。あんまじゃあ、切り分けてとか切り替えてとかいう感じじゃないんだ。

【小島】あんまり。連れて行くし仕事にも。

【加藤】 面白いよね。プライベートとビジネスの切り分けができなくないですかとか僕もよく言われるけど、関係ないじゃん。

【小島】旦那は困ってるらしいけどw。時間で区切っているわけでもないし。

【加藤】 旦那さんはね、ファイトって感じだねw。後は農業が問題だと言われて10年くらい経つんじゃないかと思うんだけど、我々が大学生の頃に日本の農業がまずい、おそらく何回目かのまずいという議論があって。それから変わった気がしますかね?

【小島】多少はその産地直送の会社もいっぱいでてきているし、若い人がまだまだ足りてないけど就農していたりもするし。私たちの同級生も。

【加藤】 ええええ、そうですよね。まあでもこれからだよね、君の仕事は50歳になったらとか言ってるわけだし。

【小島】50歳から10年農業やって、実は私の夢にはその後があって、60歳か65歳になったら畑を変えて土の状態で配合とかわかって、土を深く知ることができたら、砂漠で農作物を作りたいなと思って。

【加藤】 面白いね。面白いっていうか小学生の時に思ったことから繋がっているわけだよね。

【小島】何年かかけて1年かも知れないし5年かかるかも知れないけど、最初農作物が取れた時に、住民と「ワァーヤッター」って言って、そこでポックリ逝きたいというw。

レンタル家庭菜園計画

【加藤】 あと話しておきたいことがあるって言ってたじゃん。

【小島】レンタル家庭菜園。形態はえと菜園から切り離して新しい法人をつくろうと思っていて、今家庭菜園塾って狭い畑で定員10名でギツギツでやっていて、これ以上人は入れれないし、入れないようにしてて、問い合わせは結構あるので、ああじゃあ市民農園やろうかなと。やっているところもあるけど、管理者つきの。

【小島】うちがちょっと違うのは、お金と農薬をかけない方法を学べる。先生と家庭菜園塾を始めてからずっとテキストを書き溜めてきたのね、この1年半。それをメルマガ方式で今月はこういう作業ですよというのを利用者の方に案内できるようにしようと思って。

【加藤】 おお、すごい。ストック既に作ってあるんだ。

【小島】そうそう自分が忘れちゃうから。でも先生が書いてきてくれたものを、パソコンに落とすだけだったりするから。先生が本当に一生懸命やってくれるんだよね。

【加藤】 逆に今えと菜園的にやれてないなあと思うこととかあるの?

【小島】やれてないのはネットでもうちょっと販売を強化したいところかな。

【加藤】 まあでも、出口がないとね。

【小島】でも今年一年は生産というか内側を固めようと。小売もやっぱり難しくて、広告の勉強したり、マーケティングの勉強したりしないといけないし。

【加藤】 何か、何とか業界の仕事をやっているんじゃなくて、自分のやりたい仕事があって、そこで必要なものをやらなければいけないと。それは俺も一緒だもの。

【小島】全部勉強しなきゃいけないんだけど、どう考えても足りないから、世の中は分業になってるんだなっていうことに最近気付いたw。

【加藤】 でもそれって規模感を小さくすれば自分で何とかできる感じもしない?まあ楽ではないけどさ。世の中的には器用貧乏って言うんだけどさ。友達皆器用貧乏だな、まずいなw。

【小島】レンタル菜園をやるために今すごい農地を探しているんですけど、農地がなかなか見つからなくて、都会の中でレンタル菜園をするのって、農地を探すのが最も高いハードルの一つだと思っていて、そこを突破すると。

【加藤】 新しい地平が開けるんじゃないかと。

【小島】結局、もともと農家だったところとか、農協とか、地方自治体とか、よそが介入できないところがやってるから。

【加藤】 でもうまく一つ回せればそれを実績として信頼してもらえたりもするだろうから。モデルケースにならなきゃいけないんだよね。希世子のところが大きくならなくても、周りにどんどん真似する人が出てくればよくなるって言ってたじゃん。

【小島】そうそうそう。組織を大きくするより、小さい組織を増えるといいよね、小回り利くし。レンタル家庭菜園は管理スタッフに路上生活者の人に来てもらってやる予定で、このレンタル家庭菜園という一つの事業で、求職中の路上生活者の働く場作り、都会の市民農園の供給不足の解消、農業に纏わる問題と、社会で問題とされている事柄に3つも一気に取り組めるという、かなりすてきな計画なんだよ。

【小島】ゆくゆくは、人手不足の農業界に、管理スタッフを就農者として送り込める仕組みを作れたらいいなという未来図も描いちゃってます。ビジネスコンテストで賞も取ったんだよ。頑張んないと。やることが多いですね。

【加藤】 でもそれができるようになると、えと菜園のホームページで言っているようなことが、整理されるようなイメージになるのかな。

【小島】「農」を「食」と「職」に、だよね。ようは農業だけじゃなくて、農業の周りの産業でも収益を産まないといけないから、レンタル家庭菜園はその意味でもいいなあと。小売もそのうちの一つになるし。業種的な分け方をするとね。実際は一つの循環なんだけど。

【加藤】 多分どんな形でも参加してもらうことに意義があるので、参加の仕方のオプションをえと菜園側でいくつも持っているのは良いよね。最後に土を触ったことない人へメッセージをどうぞ。

【小島】土を触ったことで、価値観や人生観が変わることを見てきているので、是非、畑に来てください。

【加藤】 応援してます。

【小島】なんか人生観変わる人いるんだよね。非日常なのかなあ。自然にものすごい近いところにある職業なので。

【加藤】 希世子が樂しがってやっていれば、周りも楽しいのかなと思って寄ってくるので、楽しくやってください!

小島 希世子。株式会社えと菜園 代表取締役。

人間の命と健康を支える農業は、大切な産業だと考えています。一児の母となり、一日3回の食事を通し、その思いはさらに強くなりました。食べ支えてくださるお客様、農家さん、スタッフ、野菜、土、自然から、元気をもらったり、学ばせていただきながら、日々仕事させていただいています。最近の楽しみは、娘や仲間と畑で汗を流すことです。また、娘は自分が収穫した野菜は、残さず食べてくれることも、楽しみの一つです。最近、三十路を迎えましたが、よく学生に間違えられます。

えと菜園

よかもん発見たい

2016.08.28
渡邊 享子
「トントンカラリと回すサイクル」

石巻に出かけるようになって、何人もの若ものと知り合って来ました。そのうちの一人が渡邊享子さん。震災直後からゼミ生として石巻に入って、この5年間、石巻に住み、石巻に根ざして、街のことに取り組んで来た一人です。 これまでにユ…

2016.08.23
モリジュンヤ
「広義の編集、狭義の編集」

その存在は意識していた、って書くとなんか大袈裟だけれど、フリーランスとして仕事しつつ、気になっていた人の一人がモリジュンヤ君でした。とても筋の良い仕事をする人だなと思って眺めていた。 そんなジュンヤ君と昨年末少ししっかり…

2016.08.18
鵜川 洋明
「水、流るるを、樂しむ」

僕も関わる児童養護施設を退所する若もののための奨学金支援プログラム、カナエールでトレーニングチームのリーダーをしているのが、うーさんこと鵜川洋明さんです。カナエルンジャー(奨学生)とエンパワチーム(社会人ボランティア)が…

2016.01.15
太田 サヤカ
「問うデザイン、問われるデザイン」

以前、ET Luv.Lab.で取材させていただいた、イトナブの古山さんから、僕や仲間内のデザイナーのところを1日ずつ、新入社員を武者修行して回らせたいというご相談をいただいたのが2年前の春のこと。トランク片手に仙台から東…

2015.08.07
井口 拓磨
「聴こえてくる音楽、その風景」

水族館の音楽のデザイン、そんな少し変わった仕事をしている人を、以前中華街で紹介してもらいました。僕はそこでサウンドスケープ、という言葉を初めて教えてもらいました。音のランドスケープ?、なかなか難しそう。 僕は楽器がからき…

2015.06.22
葛原 信太郎
「編集が生むのは、活力」

「あれ、Twitterが似顔絵のアイコンの人ですよね?」久し振りに言われたなと思いました。 仕事仲間の鎌倉オフィスのオープニングパーティで知り合った葛原信太郎君は、アースガーデンというメディアの編集長。ただ、日本の「揺れ…

2015.05.26
小高 朋子
「作り手の担い手」

「仕事の相談があるのですがー」、久し振りにご連絡いただいた小高朋子さん。Facebookで全国津々浦々飛び回っているのは拝見していて、いずれまたお話したい人の一人でした。じっくり腰を据えて話すのは、実は今回の取材がほぼ初…

2015.05.17
網谷 勇気
「カミングアウトが拓くもの」

実行委員として関わっている児童養護施設からの進学を応援する奨学金支援プログラム、カナエールで一緒に仕事することになったのが、網谷勇気さんでした。プロジェクト内では皆ニックネームなので、今回の取材でも「あーみー」と呼んでい…

2014.03.20
中村 優
「旅するレシピ」

中村優さんと出会ったのは、クライアントのレストランでのディナー・パーティの時でした。隣の席にたまたま座っていた優さんとは当然初対面で、ただ、なんか美味しそうに美味しそうなものの話する人だなあと思っていて、でもお互いあんま…

2014.01.01
山本 浩司
「歴史家が紐解くプロジェクト・デザインいまむかし」

浩司君がTEDに出る。そんな話を聞いたのは2年前のことですか。イギリスで歴史家として産業革命時代の経済や商業の歴史を研究する山本さんとは、頻繁には会わずとも、たまに飯を食いながら意見交換する仲です。歴史家という響きとは裏…

2013.12.24
岡崎 研太郎
「アートがもたらす医療現場へのエンパワーメント」

あれは今から数年前のこと。クライアントのご親族にお医者様がおられて、僕に仕事の相談があるとおっしゃる。お医者様からの仕事というので、病院か、学会か、と思いきや、ご相談されたのは「糖尿病劇場」という何ともユニークなプロジェ…

2013.11.03
村上 玲子
「人、そこに在る暮らし、そこを巡るは旅人」

村上玲子さんは、お世話になっている方が開いた懇親会でお話しする機会があって、ただ、ソーシャル・メディアでは繋がりつつも、以降お会いする機会はなく。なんですが、僕があっち行ってると、翌日くらいから玲子さんがそこにいるのをソ…

2013.10.10
茂木 隆宏
「横浜の創造力の舳先に」

横浜在住で自宅勤務であるにもかかわらず、これまで横浜で仕事したのは片手で数えられるほど。ちょうど、この1年くらい、少し横浜で何か行われているのか、ということに興味を持ってから、よく耳にしていた名前が「ノガン」という会社で…

2013.05.20
越水 大輔
「ローカルにコミットする躍動感」

越水大輔さんはフリーランスのWEBデザイナーで、福岡に1年。僕とはちょうど1年ほど前に、ETのWEB経由でお声がけいただき、一度だけ横浜の喫茶店でお話しをしました。彼はその後、福岡に移り住み、僕もちょうど色々な場所と仕事…

2013.04.01
古山 隆幸
「復興のカリキュラム」

古山隆幸さんとは年次がほぼ一緒で、学生時代からWEBの仕事をしていたことも共通で、昨夏、石巻2.0の小泉瑛一君に紹介してもらって以来、UX X Talkというハングアウトイベントを石巻工業高校の生徒さん向けに企画したり、…

2013.03.27
礒貝 日月
「出版ボン・ボヤージュ」

大学のラグビーの後輩に、「加藤さんに、そいつだけは紹介したい、という人間がいるんです」と言われていて、そういうことをその後輩が言うのも珍しいので、ドキドキしながら丸の内に出かけたのが昨年の秋。礒貝日月君とはそれ以来、同じ…

2013.03.20
東 宏樹
「揺れやすさ、というファクト」

昨年末出かけたTEDxKeioSFCで、ちょっと懐かしい顔と再会しました。東君は大学の後輩なんですが、例によって社会人になってからの知り合い。鎌倉でこんなことをやってみたい、みたいな話を酒飲みながら聞かせてもらったりして…

2013.01.29
舟越 奈都子
「アートへのホスピタリティ」

僕が9月に石巻に行ったのは一時画伯というプロジェクトのワークショップのサポートスタッフとしてでした。実は一時画伯に関しては僕はそもそもWEB制作を仕事として請けていて、そういう意味では外部からお手伝いする立場だったのです…

2013.01.11
植村 百合香
「踏み入って、踏み留まって、踏み進める」

「ちっちゃい怪獣連れて行くね」、そう言われてブリッジフォースマイルというNPOに勤めている友達に紹介されたのが、植村百合香さんでした。初対面の時は別に彼女のプロジェクトの詳細を聞くわけでもなく、ただなんとなくこの子、大物…

2012.11.27
坂田 一倫
「Non-Designer UXer」

高校と大学のラグビーの後輩にあたる坂田一倫君。学生の頃からデザインが好きだったようで、ただ、僕とはちょっと違う志向性だったようで。彼の口から、徐々にUXという言葉を聞くようになって、気がつけば、UXの専門家として仕事をす…

2012.11.18
小野 梨奈
「働き方の未来予想図」

ナンパされたシリーズ。今年に入って、Twitterで仕事のお声がけいただいたのが、フリーランス、Webプロデューサーの小野梨奈さん。とは言え、何となく僕も存じ上げていて、お話したところ、共通の友人の話にもなり、行けそうだ…

2012.10.04
北見 友和
「続けることを繋げる、繋げることを続ける」

10年前から上永谷にあったレゲエバー、CRISE。歩いて30分ほどの所に住んでいたのに、僕が知ったのはつい昨年のこと。そこのカウンター越しに知り合ったのが、北見友和さんでした。日本料理を銀座で修行し、数千人規模の屋外ライ…

2012.09.21
山本 泰広
「笑うPMには福来る」

先日、「僕のチームの後輩に酒飲みながら話してもらえませんか?」という、ちょっと風変わりなオファーをくださったのは、ネットサービス企業でプロジェクト・マネージャーをしている山本泰広さん。同じ横浜市民ということもあり、飲みの…

2012.09.15
marico
「モノを作る、場を作る、時間を作る」

男ですし、そんなにアクセサリーとかは持ってないのですが、maricoさんにオーダーしたグラスループは今も愛用しています。maricoさんとは友人に紹介された社会人サークルみたいなところで知り合って、だから5年ほど前でしょ…

2012.07.01
中村 こども
「楽しかったら重くないんだ」

「すいません、ピントが合ってませんでした。。。」そんなET Luv.Lab.始まって以来の大失態を犯してしまったのが、今回の中村こどもさんへの取材です。実は僕は中村さんにレンズを一本お借りしていて、だから、そのレンズを借…

2012.04.14
黒田 和宏
「企業と個人を結ぶもの」

まだ僕が学生時代にデザイン会社の仕事をパートタイムのスタッフとして手伝っていた頃のこと(別に出社とかなかったけど)。その僕を手伝ってくれていたのが同じSFCに在籍していた1年下の黒田和宏君でした。そこでの仕事が終わって、…

2012.03.29
景山 泰考
「ロジックを調律する男」

「やーまん」「やーまん」「やーまん」と本当に知り合ったその日からべったりお世話になっているのが景山君こと、「やーまん」です。お互い何かを説明する時に、いきなり結論を持ち出してもきちんとコミュニケーションが取れる、という意…

2012.03.26
浜本 階生
「ソーシャルグラフとアルゴリズムが導く行方」

Blogopolisを知っていますか。10人に見せると10人が「スゲー!」という、僕の経験の中でも類まれなサービスです。それを作っている個人と知り合える!と聞いて、お邪魔した用賀エンジニア焼肉会が浜本さんとの出会いでした…

2012.03.08
小泉 瑛一
「On the frontline」

小泉君と僕の関係性を説明するに、横浜の飲み仲間です、以上の説明がないのですが、彼が横浜国立大学の建築学生の時に、ひょんなことから知り合って、せっかく地元の若者なので、色々な会に連れて行って、なんか面白いことになればいいな…

2012.02.21
大嶋 英幹 / 水口 一
「デザインに人の温かみが降りてゆく」

僕が鎌倉でお世話になっている代理人の方が「面白い人達に会いましたよ」とある日おっしゃった。あの時「じゃあ、紹介してください」、その一言が言えなかったら、きっと僕が「はせのわ」に携わることはなかったでしょう。 鎌倉にあるツ…

2011.11.12
畠山 千春
「見えやすくする、触れやすくする、慈しみやすくする」

僕をして、エコ、という言葉を誰も想起し得ないと思いますが、随分前に、green drinks Tokyoというパーティにうかがった際にご紹介いただいたのが、当時グリーンズでインターン中の畠山さんでした。ちょうど就職活動の…

2011.10.21
松村 太郎
「その境界を超えてゆけ」

2007年3月、kosukekato.comの読者から一通のメールが届きました。「ブログでナンパした」「ブログでナンパされた」という話は、どこかしこでしている話ではあるのですが、実は中学と大学の後輩であった松村太郎君と知…

2011.06.14
徳本 昌大
「コミュニケーションの今」

僕がいつもと少し毛色の違うプロジェクトにアサインしていただいた時に、そのプロジェクトでお世話になったのが、「ソーシャルおじさん」こと徳本昌大さんでした。お仕事の合間にET Luv.Lab.のことをお話ししましたところ、快…

2011.04.12
すわ だいすけ
「Still Together」

3月11日、地震がありました。今も余震や原発事故など、予断は許さない状況ではあると思います。いつまでも休眠させずに、ET Luv.Lab.も動かしたい、でも地震の後に、その話を避けて通らず、でもET Luv.Lab.らし…

2011.03.04
迫田 大地
「人と情報のパッシング・ポイント」

WEBデザイナーの迫田大地さんと付き合いだしたのは遂最近。実はこういう仕事をしている癖にWEBデザイナーの知り合いってとても少ないんです。しかし話してみると、同じ80年生まれということもあり、WEBの入り口から、仕事に転…

2011.02.19
丸岡 和人
「次代の起業家精神を描く」

丸岡和人君とは、今は無き、「用賀エンジニア焼肉」で何回かご一緒して以来のご縁です。何となくお互いの仕事を知ってはいたし、出身校も一緒だったので、シンパシーは感じていましたけど、よくよく考えれば今回の取材が2人で仕事につい…

2010.12.09
小島 希世子
「火の国の女、肥の国の母」

小島希世子さんとは大学時代の親友で、ともすれば悪友で、お酒を飲みながら20歳前後に議論を交わした朋友です。農業の世界を生業にする数少ない友人で、僕もいつも勉強させてもらってます。 2年前の法人設立の際には、僕もCIやWE…

2010.11.11
原田 均
「社会にコミットするエンジニア」

グラウンドの仲間シリーズ、原田均君は28歳にして既に検索プラットフォームを手掛けるネット企業のCTOで、この夏、僕も会社のWEBサイトを手伝わせてもらいました。原田君の世界を放浪した話、などもかなり面白いのですが、今回は…

2010.10.07
津下本 耕太郎
「関係性の仕掛け人」

津下本耕太郎さんは数年前に共通の客先でお知り合いになって、なかなか興味分野がかぶっていることもあり、同年代ということもあり、気が付けば意気投合していたという、ビジネスとも言い切れない、プライベートとも言い切れない不思議な…

2010.09.25
三橋 ゆか里
「I am a TechDoll.」

後輩が独立したと聞き、会ってみたのが半年前。それからあれよあれよという間に活躍されているのがウェブディレクターでライターの三橋ゆか里さんです。先日もYahoo!ニュースに三橋さんが書いた記事が載っていたらしく、一緒に飲ん…

2010.07.01
須藤 優
「面白い人を拡張する」

形式は違えど、JunkStageというのは、ET Luv.Lab.の良い見本なのだと思うんです。56名のライターを抱え、コラムサイトを運営しつつ、フリーペーパーを出したり、イベントをしたり、新しいサービスも始まるようです…

2010.06.04
松下 弓月
「非日常性への回路」

「今日はお坊さんと食事に行きます」なんて友人に言うとびっくりされるのですが、松下弓月さんは平塚宝善院の副住職であり、超宗派仏教徒によるインターネット寺院、彼岸寺のメンバーでもあり、最近ではUstreamなどでも積極的にイ…

2010.05.15
福山 泰史
「アマプロ混在の時代に思うこと」

同世代で自分よりフリーランサー歴が長い人、と言うと、実はそんなに多くはなかったりするのですが、音楽プロデューサーの福山泰史君は僕より2つ年下。 20歳の時に独立し、それから9年もの間、フリーの音楽プロデューサーとして業界…

2010.03.09
児玉 哲彦
「アーキテクチャからデザインする」

児玉哲彦さんとは母校のOpen Research Forumというイベントでゲリラトークセッションに飛び入り参加させていただいた時に知り合いました。それから何度かゆっくりお話をする機会が持て、僕はビジネス寄り、児玉さんは…

2010.02.25
神谷 真人
「芝居と生きる、芝居を生きる」

3年B組16番加藤康祐、3年B組17番神谷真士。中学のクラスメイトで、出席番号が並びだった神谷君と再会したのは社会人になってからでした。話を聞いてビックリ。「脱サラして舞台俳優をしている」とおっしゃる。ある意味、僕とはフ…

2010.02.23
野口 尚子
「余白を埋める、余白を作る」

各所で話題の僕の似顔絵入り名刺ですが、実は印刷の余白Lab.の野口尚子さんにコーディネートをお願いしたもので、ブラックメタリックの箔押しにグレーのラメ入りの紙がお気に入りで愛用させてもらっています。独立前に知り合いました…

2010.02.09
小林 朋子
「Twitter文化はサロン文化」

サヴォアール・ヴィーヴルって言葉、初めて耳にする方も多いのではないかと思います。鎌倉でサヴォアール・ヴィーヴルサロン、ロザリウムを主宰されている小林朋子さんは、ETの古くからのお客様で、ご家族の皆様にもいつもお世話になっ…

2010.02.05
北山 朝也
「エンジニアリングと幸せの定義」

ET Luv.Lab.記念すべき第一回目ゲストはエンジニアの北山朝也君です。北山君とはグラウンドで一緒に汗を流した仲でもあり、社会人になってからも折々で酒を酌み交わしがてら話をしあう親友です。北山君とは付き合いが長いです…

2010.01.27
加藤 康祐
「人がメディアになる時代」

ブランディングの仕事をしていると、結局最終的にはブランドの価値がいかにして、「人」に反映されるか、ということに勘所があるように思います。何か同じようなことが、スゴイ勢いで情報の世界にも起こっているな、ということを下記の文…