丸岡 和人

2011.02.19

「次代の起業家精神を描く」

丸岡 和人 - 株式会社レベリオ・テクノロジーズ / 代表取締役社長

丸岡和人君とは、今は無き、「用賀エンジニア焼肉」で何回かご一緒して以来のご縁です。何となくお互いの仕事を知ってはいたし、出身校も一緒だったので、シンパシーは感じていましたけど、よくよく考えれば今回の取材が2人で仕事について語らうのは初めてでした。

ちょうど独立してからの時間も、仕事の仕方も共通項が多くうなずくこと仕切りだった一方で、丸岡君には確たる「経営者としての視点」があり、そこは自分にはないところで、とても新鮮でした。半ば無理矢理時節ネタも織り込みつつ、スマートフォン時代をひた走る若手経営者に存分に語っていただきました。

ある日、エンジニアは営業に出た

【加藤】 丸岡君が会社作ったのって大学生の時?

【丸岡】大学卒業するかしないかという時ですね。

【加藤】 それは就活するかしないかみたいなタイミングと重なってたわけ?

【丸岡】いや、就活は皆完全に終わっていて、でも僕はその当時既にアルバイトみたいな形でシステム開発をずっとやっていたので、その延長でお客さんもついたので独立します、というのが最初です。

【加藤】 中学生とか高校生の時から会社作りたいみたいなことはあったの?

【丸岡】大学入る前に会社作れたら面白いなみたいなことは思ってましたね。まあまさか本当にやるとは思っていなかったですけど。

【加藤】 会社を作りたいというのがあったわけではなくて、仕事やってて仕事自分で回せるなとなって。

【丸岡】まあ、両方と言えば両方ですけど。

【加藤】 その当時は何をやっていたの?

【丸岡】WEBの作成とか、検索エンジンの研究をしつつ、ブログの検索のシステム作ってたんですよね。それを企業に納品したりとか、そういったことをやっていました。

【加藤】 自社サービスとしてブログのエンジンを作ってたようなイメージ?

【丸岡】そうですね、それを目指してやっていたというところですね。それの兼ね合いでクライアントがいたので、活用してもらったり。今ではもうそれは全然使ってないですけど。

【加藤】 そういうのって丸岡君が開発して、丸岡君が営業回ってたの?

【丸岡】そうですね、基本的には。

【加藤】 大学生でシステム屋さんで働いてたときには、開発側でしょう?自分の会社になったタイミングで営業的なことを始めたってこと?

【丸岡】そうですね、営業をしだしたという感じですね。

【加藤】 それは大きなチェンジだよね。

【丸岡】そうですね、だから全然わからなかったですね。見積書ってどうやって出すんだろうみたいな。

【加藤】 そういうのは誰か教えてくれる人いたの?

【丸岡】その当時、先輩と色々やったんですけど、その先輩から色々教えてもらったりはしました。先輩は起業経験があった人ですね。

【加藤】 それからずっとレベリオという名前でやってるわけだよね?

【丸岡】そうですね、もう5年くらい経ちますね。基本的には僕とアルバイトの人数名みたいな感じでやってましたね。今から思えばもう少し仲間を集めてからやるべきだったなとか思いますけど。

【加藤】 ああそう!でも無理に大きくしなかったから続いてるということもあるんではないの?

【丸岡】それは勿論そうですね。最低でももう一人いたほうが良かったのかなとは思います。

【加藤】 それは結構負担が大きくなってしまうから?

【丸岡】そうですね、分散できるので色々と。あと二者の視点と一人の視点だとやはり客観性が違うので方向性とか考えるのにもいいのかなと思いますけど。

【加藤】 どうですか、割と一人でも仕事できるタイプ?それとも、皆とやってるほうが楽しいと思うタイプ?

【丸岡】一人でやっているタイプ、ですかね。どちらかというと。

【加藤】 じゃあ、仕事のやり方というよりは、仕事のあるべき姿としてもう一人いた方が良かったんじゃないかと。

【丸岡】基本的には僕一人でやってるんですけど、生産性をあげるとか、チームワークでやった方が、効率みたいなものが上がるんじゃないかと思っていて、個人で受ける限界って総量としてあるので、その総量をあげるためには複数人のチームでやっていかないと、厳しいんじゃないのかなと感じます。

【加藤】 前に聞いた話だと、割と在宅のスタッフの人達と分業体制なんだよね。

【丸岡】そうです。今現状ももう一人いるんですけど、サイトの運営を専任でやってもらっているんですね。僕は主にシステム開発の仕事をやっているって形で、僕の知り合いの在宅の人にシステムの仕事を振ったりはしてます。

【加藤】 そういうのって同じオフィスにいなくても回せるものなの?

【丸岡】そこは僕も色々思うところがあるんですけど、一緒の場所にいたほうがじつはいいんじゃないかなと、結講思ってますね最近。インターネット普及してきて、クラウドとかも充実してるじゃないですか。在宅で、最近はノマドとか、昔はSOHOとかありましたけど、その働き方はその働き方で凄く良くて、固定費かからないですし、人件費もかからないわけじゃないですか、必要ない時には使わなければいいので。

【丸岡】そう言った意味ではメリットあるんですけど、コミュニケーションを密に取らなければ出来ない仕事がやはりあって、特にシステムの開発とかはそういう側面が強いので。

【加藤】 そうだよね、ちょっと仕様間違えると、全然違うもの出来ちゃうものね。

【丸岡】今iPhoneアプリとかAndroidアプリとかいっぱい作ってますけど、一人で出来る分量のアプリだったら在宅の方に任せても良いと思うんですね。ただ、大規模なものになってくると、そうもいかないなという感じですね。

【加藤】 一つの仕事を分解するようなプロジェクトだと、やっぱりその場にいたほうがいいんじゃないかと。

【丸岡】ということですね。

スマートフォン時代を見据えて

【加藤】 iPhoneとかAndroidの開発はいつ頃から始めたの?

【丸岡】2~3年前くらいですね。

【加藤】 じゃあ、App Store出てきましたくらいの時?

【丸岡】そうですね、App Storeが出てきて、これからApp Storeどうなるんだろうって皆が言っている時。一陣目の人はかなり早くやってたと思うんですけど、第二陣目くらいのタイミングですね。

【加藤】 それはどういうモチベーションで入っていったの?

【丸岡】その当時WEBの開発をしてましたけど、どう考えてもスマートフォンに流れていくだろうなと思ったんですよ。スマートフォンになるんだったら何があるのかなと考えた時に、アプリとか作れるようになっておかないといけないな、と思って始めたというのがありますね。

【丸岡】今でこそサイトのスマートフォン対応なんかの仕事もありますけど、その当時は全然そういうものはなくて、スマートフォンと言えば、開発するんだったらアプリでしょみたいな感じだったので、アプリを作る方法を勉強しました。

【加藤】 最初、どういう風に自分の会社の商売にできるのか、というところからわからないよね。

【丸岡】わからないですよね。最初はゲームでも作ってみれば売れるだろう、みたいな算段で作ったんですけど、やはり全然売れないですね。でもあのゲーム一本作ったことで随分色々勉強になったことはありますよね。開発のスキルという意味でもそうですし、今後の事業展開という意味でもそうだし。

【加藤】 その後は自社アプリというよりは割と受託?

【丸岡】そうですね、受託に切り替えて。

【加藤】 それは既存のお客さんにもそういう提案ができたの?

【丸岡】ゲームを作った直後は、既存のお客さんはスマートフォンにも興味がなかったですし、ニーズが全然なかった時なので、既存のお客さんづてでの仕事はなかったですよね。だから新規で開拓するとか、先輩のiPhoneアプリ開発する会社の仕事をやったりとかしてました。

【加藤】 今割合的にはスマートフォンアプリがすごい多い?

【丸岡】もう100%ですね。スマートフォン向けの案件。それはサイトのスマートフォン対応かもしれませんし、iPhoneアプリかも知れないですし、Androidアプリかも知れないですけど、全部スマートフォン関連ですね。

【加藤】 じゃあ会社の事業領域は、隣同士かも知れないけど、WEBからスマートフォンに切り替えた感じだ。

【丸岡】そうですね、切り替わってしまったという感じですね、図らずしも。

【加藤】 Android日本で行きますよという感じじゃないですか、そうするとやっぱり最近はAndroid系の仕事も多くなってきているの?

【丸岡】ありますね、あとAndroidアプリ作成の講師もやっています。

【加藤】 さっきの話に少しもどるんだけど、丸岡君て会社を大きくしたい?

【丸岡】大きくはしたいと思います。

【加藤】 そうすると今の文脈で行くとスマートフォンで大きくしたい?

【丸岡】今はスマートフォンですね。ただこの先どうなっていくかというのは、まだわからないですよね。5年前にスマートフォンがこうなっているとは到底想定できなかったので、スマートフォンが普及しきるのに後3、4年かかると思うんですけど、そのタイミングで多分次の芽が出てると思うので、その芽に対してまたいち早くとりかからないといけないなと思います。

【加藤】 脱皮しないといけないんだ。

【丸岡】常に脱皮をw。5年周期くらいで。トレンドがそれくらいで変わりますよね、IT業界とかって。

【加藤】 面白いよね、僕は割と幅を広げようとしちゃうのだけれども、切り替えたというのが凄いなあと。選択と集中じゃん。

【丸岡】そうですね。人も少ないので、切り替えざるを得なかったというのもあるんですけどね。

【加藤】 そうすると戦場も変わったらお客さんも変わった感じ?

【丸岡】変わりますね。ただ今のタイミングで昔のクライアントがスマートフォンやりたいみたいな相談はあります。

【加藤】 そうなんだ続いてるんだ、それはいいことだね。

【丸岡】昔のクライアントさんはスマートフォンのこと全然わからないので、アドバイスしたりとかしています。

ザッカーバーグに何を思う

【加藤】 時にさ、全然話し違うんだけど、今日聞いてみたいなと思っていたんだけど、「ザッカーバーグ」をどう思う?

【丸岡】ザッカーバーグですかw!

【加藤】 わかんないんだけど、僕は周囲でFacebookがスゴイとか、ザッカーバーグがスゴイとか、ソーシャルネットワークがスゴイとか、どう受け入れていいのかわからなくてその現象を。例えば僕が独立する前にはホリエモンがスゴイとかあって、別にFacebookがそうなるとかどうなるとか思ってないんだけど、うちの業界でも一定の周期で桧舞台に立つ人って出て来るじゃない。そういう人と自分の距離感というのをどういう風に見てるのかなあというのが気になって。

【丸岡】アメリカと日本の違いはあると思うんですけど、アメリカは結構ヒーローを作りたがるので、担ぐじゃないですか、皆で。

【加藤】 見事に担いだ感じだよね。

【丸岡】僕も映画観たんですけど、ザッカーバーグ自体もエンジニアって描かれ方してましたけど、実際どこまでそうなのかというのもわからないですし、あれはアメリカの現象だと。日本ではああいう感じでは起こり得ないとは思います。

【丸岡】だから僕はあれは隣の世界の話で、遠い世界の出来事だと思ってます。

【加藤】 それは逆に言うと日本では起こるべきだと思う?

【丸岡】わからないですけど、日本もだいぶ今変わってきているなという実感が結構あるんですよね。人口が減って、留学生をどんどん雇って新卒が厳しいとか、年金がまずいことになっているとか、日本がやばくなってるというのは感じてるんですね。やばくなると変わらざるをえないので、そう言った意味でも変わってきているんじゃないかと思います。

【丸岡】その時にヒーローが必要であれば、勝手に作られるんじゃないかと思うので、それはその時なんじゃないかなと思いますけど。

【加藤】 僕も結構賛成で、日本社会全体の面倒をみますって人は、そういう人でてこないとは思うんだけど、それに自分がなりたいなとは全く思わなくて、自分がどこからどこまで面倒みたいか、って話だと思うんだよね。

【丸岡】僕も独立した時はシリコンバレーとか華やかな世界に憧れるわけですよ、この業界にいるからには。でも日本で5年くらいやってきて、大分様子が違うと。向こうから聞こえてくる話と、こっちで実際に起こっている話は。

【丸岡】なので、日本でやるのなら日本なりのやり方をして、成功しなければいけないんだろうなと思います。だから、Facebookの話は向こうの環境だから起きる現象であって、日本の環境では日本に適したやり方でやらないと駄目だと。

【加藤】 でも色々やばいから、日本のやり方ってなんだろうという疑問符はそれはそれであるよね。

【丸岡】まあそうですね。それも変わってきてますね徐々に。

【加藤】 まあ真面目に働くしかないんじゃないかと。

【丸岡】それはもう本当に重要なポイントですね。

【加藤】 後輩に対してどう接している?起業したいとか、IT系就職したいという後輩がいたとして、今どういう風な話の仕方している?

【丸岡】あんまり煽るのも良くないと思ってるんですけど。ただ、大企業に就職しても多分この先厳しいよね、という話はします。国内の需要が落ち込んでいるので、今の大企業は今の形を維持できないはずで、輸出企業とかだったらまだ良いですけど、厳しいからそこはちょっと考えないといけないと。

【加藤】 皆が皆、思い通りの就職ができる時代ではなくてなってきているわけじゃない。そういう中で小さなパッケージでも仕事ができる人を増やさないといかんのかなあと思っていて、でもどうやったら増やせるのかなと。

【丸岡】でも僕個人で商売できる環境は今すごい整っていると思っていて、特にネットのお陰で。例えばプログラムできる人はプログラム書けば良いと思うんですよね。それはそれでひとつの仕事になると思うので。それが嫌な人、もしくはできない人は、モノとか売れば良いと思うんです。今ECとかもあるわけで、簡単に作れるじゃないですか。そういう事すれば良いと思うんですけど。

【丸岡】モノも商材が良くわからない人は、サービス。例えば何かを教えるとか、何かを手伝うとか、そういうことで商売になると思うんですよね。そういうことはできるとおもうんですけど、ただ僕の経験上、自分の家が自営業だとそういう発想にはなりやすいと思います。サラリーマンの親御さんだと、なかなかそういうことを思いつかないというか。

【加藤】 そういう選択肢があることを認知してないという。

【丸岡】認知してない、もしくは、やり方が分からないみたいなパターンが多分にあるんじゃないかと。

【加藤】 ちなみに丸岡君の家は?

【丸岡】サラリーマンですね。

【加藤】 うちもです。

【丸岡】ははは。だから随分変わった目で見られましたけど、起業する時に。

【丸岡】だから厳しいと思うんですよね。何も知らないで商売とか。そういうセンスがある人はもちろんいるんですけど、そうじゃない人は大変ですよね。

【加藤】 センスは多分丸岡君あったんだろうけど、最初始める時はそういうテンションだよね。

【丸岡】そういうテンションですね。昔のこと思い返すとそうですね。それこそ見積書どうやって出せばいいかわからないとか。

【加藤】 そう考えるとやったもん勝ちなのかも知れないよね。

【丸岡】やったもん勝ちですね。

【丸岡】是非、モノを売るっていう体験をしてみると、感覚が変わるんじゃないかという気がします。それは何でもいいんですけど、文化祭の出店でもいいので、そういうのをやると、ああ商売ってこういうものなんだなという疑似体験ができるだけでも随分違うんじゃないかなって思います。

【加藤】 買う側でだけいるのは、スゴイ損な気がするよね。

【丸岡】作る側というか売る側に立つのは、就職してからなんですよね、皆さん。就職する前にそれを知っておくと、独立してもいいじゃんと思える。

【加藤】 それ面白いね。確かに独立してもいいじゃんと思うためには、売る経験は必要かも知れないね。

【丸岡】アメリカだと小さな子が街角でレモネードを売るとかよく聞くじゃないですか。ああいう教育はむこうの起業家精神を育てる意味でスゴイ意味のある活動なんだろうなと思いますけど。

次なる脱皮

【加藤】 多分、丸岡君個人の役割というのがあって、会社の役割というのがあって、今割と一致している感じだよね。

【丸岡】そうですね。

【加藤】 それっていうのは会社を畳むその日までそうでありたい感じ?

【丸岡】そこもわからないですよね、どうなるかというのは。創業当時はそう思ってましたけど、今やっているメディアサイトが成功するんであれば、ある程度譲歩するというのも可能なのかなとも思います。

【丸岡】それは例えばアメリカ方式ですけど、Googleとかは創業者がいて、Eric Schmidtが経営していたわけじゃないですか、数年間。さっきのFacebookの話じゃないですけど、FacebookもSean Parkerがいて、SeanがFacebookの初代社長だったわけですよね、で、ザッカーバーグは創業者としていた。今はCEOになってるみたいですけど。そんな感じもありと言えばありなのかなと思います。

【加藤】 仮に丸岡君が譲歩してもいいと思えるとしたら、それってどういう目的が出てきた時なのかな。

【丸岡】それも今スマートフォンがかなり盛り上がってるじゃないですか。その波に乗れるのであれば、ってことですよね。それは特にIT系水物なので、特にWebサービスは。その時にそのタイミングでちゃんと資本を投下しないと、もしくはエネルギーを投下しないと、うまくいくものでも、うまくいかなくなっちゃいますよね。なので、それをうまくいかせるためなら、ってことですよね。悩ましいですけど。

【加藤】 今の話は結構聞けたので、将来の話とか聞いていい?

【丸岡】いいですよ、いいっすけど。

【加藤】 5年後、10年後わかんないものね。

【丸岡】変わりますよ!絶対。

【加藤】 わかった!スマートフォン以外で今一番興味があることって何?

【丸岡】物販もしくは教育、ですね。時間があれば、物販も教育もやりたいなと、もしくはやってくれる人がいれば。特に輸出業ですね。プロダクトは作らないで、国内の商品を海外に売るという仕事をやりたい。後は何でもいいんですけど教える仕事。それが今面白いですね。

【加藤】 すごい意外なところを言われた。

【丸岡】そうですか?

【加藤】 スマートフォンていうと、割とトリッキーじゃないけど、専門的なジャンルでしょう。でも物販とか教育ってのは人間の商行為として割と基本的な部分だよね。

【丸岡】そうですね。僕も色々なビジネス見てきて、考えるところはあるんですけど、メディアサイトやっている上で、あんまりメディアサイトって儲からないんですよね、端的に言ってしまうと。で、そこは一つの反省点だったんですけど、ビジネスである以上何かモノを売らないといけない、サービスを売らないといけない、と考えた時に、自分が出来る範囲であれば、物販か教育、その2つかなと思うんですね。勿論、スマートフォンではスマートフォンの業界での目的はありますけど。

【加藤】 ある種、ビジネスの構造としてシンプルなことやりたいってことなのかね。

【丸岡】そうですね。ITがトリッキーになりがちなので。

【加藤】 そういう力勝負の丸岡君も見てみたいね!

【丸岡】力勝負も楽しそうですね。

丸岡 和人

2005年 株式会社レベリオ・テクノロジーズ創業
2008年 慶應義塾大学大学院修士課程卒業
同年 IPAの2008年度上期未踏IT人材発掘・育成事業に「coRockets」の開発で採択

スマートフォンに関する講演・執筆・コンサルティング業務多数

Facebook:http://www.facebook.com/kazuto.maruoka
会社サイト: http://reverio.com

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福山 泰史
「アマプロ混在の時代に思うこと」

同世代で自分よりフリーランサー歴が長い人、と言うと、実はそんなに多くはなかったりするのですが、音楽プロデューサーの福山泰史君は僕より2つ年下。 20歳の時に独立し、それから9年もの間、フリーの音楽プロデューサーとして業界…

2010.03.09
児玉 哲彦
「アーキテクチャからデザインする」

児玉哲彦さんとは母校のOpen Research Forumというイベントでゲリラトークセッションに飛び入り参加させていただいた時に知り合いました。それから何度かゆっくりお話をする機会が持て、僕はビジネス寄り、児玉さんは…

2010.02.25
神谷 真人
「芝居と生きる、芝居を生きる」

3年B組16番加藤康祐、3年B組17番神谷真士。中学のクラスメイトで、出席番号が並びだった神谷君と再会したのは社会人になってからでした。話を聞いてビックリ。「脱サラして舞台俳優をしている」とおっしゃる。ある意味、僕とはフ…

2010.02.23
野口 尚子
「余白を埋める、余白を作る」

各所で話題の僕の似顔絵入り名刺ですが、実は印刷の余白Lab.の野口尚子さんにコーディネートをお願いしたもので、ブラックメタリックの箔押しにグレーのラメ入りの紙がお気に入りで愛用させてもらっています。独立前に知り合いました…

2010.02.09
小林 朋子
「Twitter文化はサロン文化」

サヴォアール・ヴィーヴルって言葉、初めて耳にする方も多いのではないかと思います。鎌倉でサヴォアール・ヴィーヴルサロン、ロザリウムを主宰されている小林朋子さんは、ETの古くからのお客様で、ご家族の皆様にもいつもお世話になっ…

2010.02.05
北山 朝也
「エンジニアリングと幸せの定義」

ET Luv.Lab.記念すべき第一回目ゲストはエンジニアの北山朝也君です。北山君とはグラウンドで一緒に汗を流した仲でもあり、社会人になってからも折々で酒を酌み交わしがてら話をしあう親友です。北山君とは付き合いが長いです…

2010.01.27
加藤 康祐
「人がメディアになる時代」

ブランディングの仕事をしていると、結局最終的にはブランドの価値がいかにして、「人」に反映されるか、ということに勘所があるように思います。何か同じようなことが、スゴイ勢いで情報の世界にも起こっているな、ということを下記の文…