松村 太郎
2011.10.21
「その境界を超えてゆけ」
松村 太郎 - ジャーナリスト
2007年3月、kosukekato.comの読者から一通のメールが届きました。「ブログでナンパした」「ブログでナンパされた」という話は、どこかしこでしている話ではあるのですが、実は中学と大学の後輩であった松村太郎君と知り合ったのは、社会人になってからのその1通のメールが全てで、しかし、そこに始まる彼との付き合いは、この4年超で色々なモノやコト、そしてヒトを巻き込んで、僕にとって、きわめて重要なロールを占めています。そして今では大切な友人の一人です。
ET Luv.Lab.を始めた当初から、太郎君にはインタビューをしたいと思っていました。しかし、あまりに語るべき事柄が多すぎて、何から聞いてよいやら、というのが実際でした。僕がET Luv.Lab.を続けてきた中で、ずっと仮想インタビュー相手として想定し続けてきたのが、太郎君です。そんな太郎君に、今こそ話を聞きに行くべきという思いあり、肉骨茶とジャスミンライスをほうばりながらのランチインタビューが始まりました。
ノマドの現在
【加藤】昔話から始めると、Shutdown Dayのワークショップで太郎君と会った、というのが一番最初だったと思うんだけど。
【松村】そうですよね。あれは2007年3月だったと思いますが。
【加藤】初めて会って、太郎君に最初に提示されたのが「ノマド」って言葉だったんだけど、もう4年経って、その間、世の中的に色々あって、一回話題になったキーワードでもあるけれど、この4年で「ノマド」の持つ意味って変わったのかなあ、というのが最初の質問。
【松村】少しファッションになったかなという感じがしていて、今多分ノマドと言ったら真っ先に思い浮かぶのが、カフェでノートパソコン開いている人、というイメージになったんで、それくらいライトなファッション的なキーワードになったんだなあ、というのがこの4年の変化だと思うんですよね。
【松村】ガチノマドではないんだけど、皆がそういう体験を簡単にできるようになったというのが変化だと思うんです。昔だったら、ノマドと言ったらお洒落な雰囲気全くなくて、とりあえずPCカードのPHSのモジュール挿して、電車の中でも喫茶店でもノートパソコンを開いてガチャガチャやっている人。モバイラー、ちょっとギーク寄りな雰囲気が強かったと思うんだけど、それが大分変わったというか。
【加藤】それは太郎君的にはハードルが下がったというか、門戸が開いたという感じではあるの?
【松村】多分もう尖ったキーワードじゃなくなって、普通の人がノマドできるようになる機器が増えたということだと。iPhoneもそうだし、iPadもそうだし、ノートパソコンもバッテリが持つようになったってすごい進歩だと思います。無線LANが広まったということと、最近はWiMAXでデザリングできるようになったということもありますし、そういうコストが下がるということと、機械が良くなっということで、すごくやりやすくなったんでしょうね。
【加藤】そうだね。思い出すのは、初めて会った時に「ノマドという旗を振りたいと思っているんですよね」という話を太郎君がしていて、僕はよくわからないんだけど「殿(しんがり)を務めます」って言った記憶があるんだけれど、太郎君的にはこれからもノマドを旗として振り続ける必要性を感じているの?
【松村】4年経って、多分もう一つ本質論に行った方が良いと個人的には感じていて、ノマドというと、すごいライトな方向性と原理主義という2つに今分かれていて、個人的にはどちらにもあまり賛同しないというか、個人的にはライトなノマドの方が僕らが考えていた方に近いと思っています。
【松村】それぞれを説明すると、ライトなノマドというのは、さっき言ったようにファッションに近い形で、スターバックスでMacbook Airを開いて仕事しているのか、仕事をしてないのか、メールを書いているのかわからないけど、「今日は会社の中が殺伐としているからノマドしてこよう」みたいな使い方。それが気軽にできるようになったということだったり、あるいはそういうスタイルを会社が認め始めたってことなのかも知れないけど、それはすごくポジティブだと思うんですよ。
【松村】一方で、原理主義の方はちょっとあまり賛同できなくて、彼等彼女たちが言うには、「会社に勤めている人は馬鹿だ」と。「あり得ない」「能力が低い」。そういう風な見下し方をしていて、ノマドじゃない人たちは未来を作れない、みたいな言い方をしてしまっている。コントラストをつけるためかも知れないけれど、そんなにノマドが人生を決めるものでもないという気もしていて、生き方ではあるけど、人生とかそのアウトプットは決まらないと思うんですよ。ノマドは手段だから。
【加藤】そうだね。
【松村】ノマドは目的ではないし、歴史的に元を正しても手段でしかないんです。草がはえている場所を求めて遊牧するのがノマドだった。中世のヨーロッパだったら、お城を立てる人達もそんなに一箇所でお城を立て続けられるわけじゃないから、仕事ができる場所を求めてプロフェッショナルが色々な場所を転々とするというのが都市の中での職業的なノマドだった。それも手段ですよね。それは目的というよりは、仕事の仕方論なんですよ。ということを踏まえると、先ほどのライトなノマドは仕事の仕方論に入ってるけれど、原理主義って「ノマドになることが目的じゃないんだよね」ということに気づいてないんじゃないかと。
【加藤】手段そのものが評価の対象になるということ自体、なんだかおかしな話だものね。
【松村】だから佐々木俊尚さんが2009年に書いたのも手段、スタイルの話であって、そうすることが人生にとって幸せだというわけではない。そこが最近ノマドというキーワードに対してのすごい大きな違和感で、特に原理主義の方はそうじゃないんだけどな、という気がしています。それを選べるか選べないかという自由を確保することは必要なんだけど、それは選ばなかったから駄目だという話ではない。そういう意味では、もうノマドというキーワードは、個人的にはファッション的な部分はもっとやっていくべきだけど、精神的な部分に関してはこれ以上言う必要はないのかな、感じがしています。
【加藤】僕も後ろから見ていてそう思う。
【加藤】じゃあ、ノマドの話は切り離すにしても、今までも何度も行ってはいたけど、11月からアメリカに行くわけだよね。
【松村】目的は英語を勉強したいというだけなんですよ。本当それだけで、でもそれは結構、高校や大学の頃から「やりたい」「やらなきゃ」とは思っていたところではあったんですけど、できていなかったから、条件が整ってきて、行ってしまおうかなと決めた感じです。もう一つ震災の影響って個人的には大きくて、すごい大変なことがあったんだけど、それで日本にいたくないとかいうわけではないです。理由というよりはきっかけでしかなかったと思うんですけど、震災以降の仕事の仕方ってノマドとかそういうのを越えた、古い言葉で言うとテレワークだし。分散型なのかわからないけど、コミュニケーションのリソースでのフェイス・トゥ・フェイスの割合がすごい減ったんですよ。会いづらいじゃないですか。震災の時も動けなかったりして。
【加藤】もう物理的にということだよね。
【松村】そう物理的に。この前もSteve JobsさんがAppleを辞めたタイミングで、雑誌社から8ページ〜12ページ分の鉛筆書きのラフがメールで送られてきて、原稿よろしく、と。メールで返すと、PDFに原稿チェックが返って来て、それでOKで2週間後に紙になってそれが出てくるわけですよね。だから、それまでのコミュニケーションとか、やってきた仕事というのが勿論あるとしても、ただその雑誌の原稿を書くということに関しては、ミーティング一回もしないで終わったわけですよね。
【加藤】受注からアウトプットまでが、ということだよね。
【松村】これ多分東京にいなくても同じことになってただろうなという気付きが、震災以降ずっとあったんですよ。あと、Castaliaの山脇智志さんとメールも電話もしてないという話をこの間ブログに書いたんですけれど、あれもすごい象徴的で、FacebookのメッセージとFacebookのグループだけで、ほとんどのコミュニケーション、情報共有とディスカッションが終わってたんですよね。一応、週一回のミーティングがあるとしても、それをSkypeに置き換えてしまえば、多分フィジカルに会わなくてもコンセプトを作っていくという作業はできるんじゃないかと僕は思っています。だから、日本の誰かにインタビューをするとか、ソーシャルメディアのPRの企画とか、できないことは勿論あるでしょうけど、それ以外に関してはそんなに変わらないんじゃないかって思ってます。
【加藤】今の話を聞いて思ったんだけど、その話が成立するのって、原稿を依頼してくる雑誌社さんとか、Castaliaの山脇さんとかと既に信頼できるパイプがあるから、むこうに自分が行っても大丈夫だ、ということだよね。
【松村】だから、それを作る時間ていうのは、数年というスパンがかかっていたかも知れないけど、ただ新しい関係性をどう作るかというのはまた次の話としても、そのコミュニケーションの蓄積というのを、ストックとして使うということができるんじゃないかなって思ったんですよね。
【加藤】それはすごい。最近、僕が考えていることとも似ているかな。今までのキャリアで作ってきたものを担保に、新しい価値を取りに行くというか。
【松村】多少迷惑をかけることがあったり、できない仕事とかもあるかも知れないけれど、それはご勘弁いただきながら。でも、そう考えると、忙しくてなかなか毎日のように誰か友達と会っていたわけでもないし、変な言い方だけど、すぐには会えないけど、そんなに大きく何かが変わるという感じでもなくなったんですね。それは自分も決める前はすごいハードルだと思っていたんですけど、よくよく一つずつ仕事のこととか、普段のコミュニケーションのこととか、分析してみると、自分にとって決定的に何かが変わるかというとそういうわけではない、と思うんです。むしろ、円高だし、家賃が半分くらいになるみたいで。広くて街の中なのに。と考えると、生活コストもすごい下がるし、東京からどこか田舎に引っ越した感覚に近いのかなあ、という感じがしますね。
【加藤】帰って来れるしねえ、いつでも。本当に何かがあったら。
【松村】そういう意味では、何かが大きく変わるという感覚ではないな、という感じがしています。
【加藤】まあでも楽しみですよ。
【松村】ただ妻は仕事を辞めなければいけなかったから、ここ1、2年はぼくのわがままに付き合ってもらうことになるんですけど、感謝しています。
知識グラフとプラットフォーム
【加藤】今度、コミュニケーションのデザインの話を聞こうと思っていたんだけど。
【松村】さっきの話から続きでいくと、コミュニケーションデザインって、いかに早く信頼関係を築くか、じゃないですか。今の仕事って数年単位でコミュニケーションしながら作って来たから、半年くらいどこかに行っても大丈夫。だけど、まだノマドというキーワードをもう一つ追いかけるとしたら、その関係性をどうやって作り出すか、早く短期間に作り出すかというのが大事だと思います。最近つくづく感じるのが、会いそうな人に会っている、ということが多いんですよ。「今度紹介しますよ」と言われた人に、別のつてで数日後に会っている、ということがあって。
【加藤】巡り合わせというか、必然性があったってことだよね。
【松村】その誰かが「今度会わせますよ、紹介しますよ」と言ったその人が見つけた関係性って、実はその人が単に思っているだけではなくて、実はパブリックなものというか、必然的なものなんだと思うんです。
【加藤】あと太郎君がコミュニケーションのデザインをやっているところを見ていると、一つ大きな要素があると思っていて、絶対学びが入っているよね。例えばそれが学習なのか、啓蒙なのか。
【松村】今はすごく良い時代で、文字とか読んで学べる情報って、言葉悪いですけれど「ググれカス」なわけですよ。
【加藤】じゃあその上で、という話だよね。
【松村】そこで得られない学びなり情報なりというのが多分これからもっと価値を帯びてくるだろうな、ということを感じています。有安伸宏君のCyta.jpも、プライベートコーチをマッチングしてくれるサービスなんですけど、ギター教則本買えば独学はできるけれど、テクニックとかちょっとコツを見せてもらって教えてもらえば、フィジカル体験によってすごく進歩することもあるわけですよね。その領域ってまだまだ多くて、実はこれからますます重要になってくる。それ以外のところは、本を読んだりググればいいんだけど、そこで得られない学びとか情報とか体験というものをどうやって人々にもたらすか、というのがこれからやっていくべきチャレンジだと思います。個人的には広告とか社会活動とか、全てにそこが関わってくるだろうな、と思ってるんですよね。
【加藤】ああそうだね。今年やってるストーリーを付与するというのも。例えばiUnivが出てきた時に、少なからず、「あ、教育の無償化なのか」と思った人いると思うんだよ。多分そうじゃない、よね。
【松村】というか、教育の無償化は元々起きているだけで、それこそググれば良かっただけなんですよ。もう少しこれから改善できそうだなと思うんですけど、それをインデックス化して検索しやすくするというところから、誰が何を学んだか、誰が何を知っているか、誰に聞けばそのことがわかりやすいか、それこそこの前、加藤さんが言ってくれた知識グラフの世界ですよね。それをもっと充実させていけば良いと思っていて、新しいFacebookのOpen Graphはすごいそれに対して閃きを与えてくれたんですよ。
【加藤】なるほどね。こないだのF8の発表の。
【松村】誰かが知識を学んだ、ということは、その情報を書いた人が誰かに教えた、と見なすことができます。今はサービスの上で、誰かが何かをやったということばかりがフォーカスされているんだけれど、実はその先って、それって誰が書いた情報なのか、時間差はあるにしても誰が教えたということになっているの?というカウントができるんじゃないかと。
【加藤】面白いね。
【松村】ブログの記事のいいねボタンもそうだし、はてブもそうなのかも知れないけど、その記事についているものだけど、その裏には必ず人がいて、書いた人がその人達に「いいね」と言わせた、ということがあると思うんです。誰かが能動的にやったことに対して、必ず裏では受動体になっているはずなんです。誰かが情報を作らないと、それを読んだりすることはできないから。
【加藤】ログとしてギブアンドテイクのテイクしか残らないということだよね。
【松村】システム側でギブを記述してあげると、直接的にマッチングすることが良いか悪いかはまた別にして、システム上は「どうもソーシャルメディアに関しては加藤さんから学んでいる人が多い」ということがわかると、この前言ってた知識グラフができあがるんですよね。「誰が」「何を」「誰に」教えたのか、という3つの空欄がある状態ではあるんですけど、そこを一つずつ埋めていった結果で、コミュニケーションが完成したという話になる。今すごいと言われているソーシャルメディアでも、誰に何をという部分がすごい強くて、マーケティングだからなのかも知れないけど、誰がは広告主とかになってしまいがちで、誰がの部分もブランクにしておくと、そこにコミュニケーションのプラットフォームが作れるという風に思ったんですよ。
【加藤】それってもしかするとGoogleとかFacebookとかよりも、Amazonの方が先に進んでいるところかもね。
【松村】んんー。マッチングエンジンとしてAmazonが優れているのはその通りだと思っていて、ただ、Amazonの別の問題としては、あそこで買う喜びってあまりないんですよね。
【加藤】そうですね。
【松村】僕はあまりそういうことしないけれど、Amazon使っている人って、本を買うって行動が主になっていて、買った本が家に積まれていて、買って届いたら満足しているというか。
【加藤】ああ、僕もそうなりがちですが。
【松村】でもそれってすごく買うっていう体験が0か1かの問題になってしまっていて、松村太郎電器に関してはそこに対してアンチテーゼを投げかけようとしています。
【加藤】それはZen Bagで言うところの、開発からプロセスを皆に見てもらって、という。
【松村】皆で一緒に作りましょうという話だったり、なんでそれを選んだのかというところに、メーカーからきちんと話が届くというのが重要だと思っていて。
【加藤】よくコンテンツリッチという言葉があるけど、アクティビティリッチということかも知れないね。
【松村】今までの商品って、作った人のストーリーと使う人のストーリーが重ならなかったんですよ。作る人はできあがるまでの話、使う人はできあがってからの話で、両者がかぶさらなかったから、ちょっとでもオーバーラップさせられないかというところが、購買とか物作りにおけるストーリーが重要というトライなんです。
【加藤】インターネットの前の時代にはそういうものがあったような気もしなくはないけど、インターネットショッピングがさっき言ってた買うだけで満足しちゃうとか、注文して届く頃には飽きちゃってるという世界に振れてきちゃったから、もう一回振り戻してやる必要があるのかもね。
アップルとケータイとJobs
【加藤】Jobsの追悼のイベントで独立する時はアップルとケータイをやろうとしてました、それがオーバーラップというか、一緒になってしまった、という話をしていたけど、そういう意味ではすごく太郎君の活動の文脈にAppleの占める割合って大きいんだろうなという気がしていて。勿論、Appleだけじゃないんだろうけど。今どう思っているのかなあと。
【松村】実は追悼イベントで何か喋ってくださいと呼ばれた時に、渋谷の東急本店の前にあるフレッシュネスバーガーでスピーチ原稿を書いてたんだけれど、泣きながら書いてたのが、周りがギャルばかりで恥ずかしかったんだけれども。
【加藤】ははは。
【松村】僕はApple IIから持ってました、というAppleとの関わりが15年、20年選手の人達とは違って、やっぱりまだ30歳ということもあります。最初は小檜山先生に「Windows PC捨てちゃいなよ、Mac使ったらAあげる」と言われて、2001年くらいにiPodが出たんだけど、当時はiPodがWindowsで使えなかったから、まんまと策略にはまってiBookを買ったんです。僕はデザイナーとかではないけど、フォントとかレイアウトとか元々すごい大好きだったんですね。修士論文のためにinDesignを一生懸命覚えちゃうくらい、意味が無いんだけどあんまり。
【松村】元々そう言うのが好きだったんで、Mac OS Xの画面を見てすごいびっくりしたんですよね。文字の綺麗さが際立っていて。もっと言うとMac OS 9のギザ文字も綺麗なんですよね。
【加藤】Osakaだっけ。
【松村】そうOsaka。今でもエディタによってはアンチエイリアスをオンにするオフにするができるんで、12ptのOsakaのアンチエイリアスオフとやると、当時の感じになるんですよね。
【加藤】楽しい。
【松村】時々やってるんです。だから、こんな人他にいないかも知れないですけど、気分によってエディタのフォントをゴシックにしたり明朝体にしたり、あるいはそのOsakaのギザギザの文字にしたりしながら、原稿を書いたりするんです。あと、校正の時にちょっとフォントを変えてみるとか、僕はすごいフォントが大好きで、英文のフリーのフォントを滅茶苦茶いっぱいダウンロードしてWindowsの起動が遅かったりとか。
【加藤】まあでもJobsも。
【松村】そう、彼もカリグラフを勉強していて。2001年にMacを使い始めて、それまではパソコン自作してたりもしてんだけれども、そういうことをあまりしなくなって、今のMacが育っていく10年間を見られた、というのはすごい重要なことだった気がします。
【加藤】なるほどね。Mac 10年、ブログ10年だものね。
【松村】そうそう。Appleの物作り云々というのは勿論なんだけれど、それ以上にやっぱり毎日見るものなのに、なんで気を遣ってなかったんだろうと思わされるくらい、一つ一つがきちんと用意されていて、そういうところが面白いなと思ったんですよ。
【松村】一方で何でケータイが良かったかというと、ケータイって多分、形で変化してきたツールじゃないですか。形とか、中に入っているテクノロジー。それが端末デザインと呼応しながら発展してきたんですけど、ちょうどそれがMacと対照的だったんですよね。Macは画面の中で進化をしていたと感じていて、ケータイはカメラが100万画素越えたとか、おサイフケータイがついたとか、形で変化してきた。
【松村】だから、別のカテゴリとしてすごい見てたんですよ。どちらも毎日使うものではあるのだけれど、ポケットに入れられて面白い形にどんどん変化していくケータイと、様々な用途に画面の中で色々な進化をしているMacと、というような。それが2007年に融合しちゃったというのは、なにか偶然なのか必然なのかと言われるとわからないけれど、とても面白い偶然が働いたんだなあと思えます。
【加藤】少なからず太郎君のキャリアにもそのこと自体が影響を与えてるんだろうね。僕はこの後、Appleがどうなるか?みたいな話を太郎君としたいとは思わないんだけれど。
【松村】僕もあんまり興味はない。どうにでもなるでしょうという感じがしていて、特に近年のAppleは実は工業の時代の最先端で、「今日からiPad Nano新型になりました」とか「今日からMac新しいの始めます」って今までJobsが簡単に言ってたけれど、そんな簡単なことじゃないんですよね、あれって。だって、流通在庫ももちろんあるだろうし、店頭在庫ももちろんあるだろうし、どうするの?という話じゃないですか。「今日から新しいもの売ります」と言われて。「今日から型落ちです」となっちゃいますよね。
【加藤】それは今までTim Cookさんが担ってたパートということだよね。
【松村】そういうところもそうだし、iMacの画面の部分を繰り抜いた板でキーボードを作りますとか、生産と流通の最大限の最適化が、Appleの今の姿だと思っていて。
【加藤】リサイクルできるようにポリカーボネイトやめたしね。
【松村】1000万台売るデザインをしているかどうか。というのが、他の日本のメーカーとの違いなんだと思います。
【加藤】今回のことで奇跡は終わったみたいに言う人もいるけど、それは終わったのか終わってないのかはよくわからないけど、地力をきちんと評価することをしないでそういうことを言ってもしょうがないのかなあ、という気がするね。
【松村】そうですよね。色々な見方があるけれど、iPhone自体も出てくる3年くらい前から、タブレットにしようか、スマートフォンにしようか、という話があったというくらいだし、Appleの日本人のデザイナーの方に話を聞いたことがあるんですけど、普通のメーカーだとプロトタイプって一つのプロジェクトで1〜3個くらいなんですって、作らせてもらえるのが。Appleってプロトタイプを結構自由に作らせてくれるんですよ。ボツになっても。「手にとってみないと何が欲しいかわからない」とJobsが言ってたけど、まさにそれをやらせてくれてるんですって。デザイナーにとってもすごいいい場所だし、だから、色々な良いプロダクトが生まれてくるんだと思うんだけれど。
【加藤】コストカットだけを考えてやってたらそういうことにはならなくて、あくまでコストは最適化するものだってことだね。
仕事をチューニングするということ
【松村】今でてるライフハックの本って、その最適化の手法なんですよ。でもなんでそれが日本で売れるかというと、それぞれの仕事の環境とか職場で、その最適化が進んでないから。
【加藤】そうだね。
【松村】これは逆に個人事業主としての話なんですけど、個人事業主って、自分がしたい仕事をいかに効率的にするかという手段、ですけど、それでもやっぱり、自分に対して自分で評価する必要があって、少なくとも、好きなことやってるからこそ、好きなことができているのかについても、効率というか、気持ちに対しての稼ぎが見合ってないといけないなと。
【松村】どうしても働き方の話とか、個人とか、アートもそうだけど、お金の話をすると急に皆しらけちゃったり抵抗あったりするかも知れないけど、とは言っても、資本主義の国で生きてるし、それが支えている世界だから、お金と、自分や、自分の仕事や、自分の気持ちとの関係性を、どこかでモニタリングし続けないといけないと思うんですよ。それがあまりにも不均衡になっていた場合は多分考えたほうがいいと思っていて、例えば僕の場合は、3000文字の原稿を何分で書けたかが時給計算に直結するわけです。だから、好きなことを仕事にするのは勿論良いんだけれど、そこの効率性を追求しなけいけないし、そこの採算性が合わない仕事って、じゃあ自分にとってどういう価値があるんだろうという計算をしないといけないし、それが割に合わないならやめないといけない。
【松村】実はこれは高校の数学の先生が、コンサル系の友人が多いのかコンサルだったのかわからないのだけれども、そういうROIの話を高校生にしてたんですよ。例えば、高校生から大学生の間は自分の時給2,000円と捉えなさいと。2,000円以上の仕事、例えば家庭教師とか、だったらば得るものがないとしても続けた方がいいでしょう。ただ、時給800円だったら損していると考えるのも一つだけど、1,200円分の何か自分に身になるものがあるのか、というのを検証しなさい。それでとんとんになるならOK。じゃあ学校の勉強はどうかというと、マイナス2,000円と思うかも知れないけど、実は親が学費を払っていて、学費は例えば授業ヒトコマ3,000円だとしましょう。そうしたら、親の財布から出ているとは言え、3,000円+2,000円で5,000円不足している状態だと。その授業から5,000円分学び取れているのかどうか、あるいは、学びとれないなら寝てればいいし、という話で、全部が数字化できるわけじゃないけど、具体的な数字にすることで、自分の気持ちも数字の上で納得できるかどうかという判断になる。という話を高校の数学の時間にしていて、なるほどなって思ってたんだけど、多分それって今の個人で仕事をする人達にとってもすごい必要な話だと思います。
【加藤】多分、個人になればなるほど、毎月の入ってくるお金も決まっているわけじゃないから、余計にお金のことを考えなくてはいけなくて、まあ考えたくないという人もいるのかも知れないけれど。
【松村】お金はいいから、個人で仕事するのがいいんだという人も勿論いるし、それも素晴らしいと思うんだけど、でも一方では、世間の大半の人が、なんでその人はお金の心配をせずに暮らせてるのと言ったら、絶対誰かのサポートがあるからということになるので、そこは忘れちゃいけない。震災みたいなリスクがあるとしたら、そのサポートが切れるかも知れないわけだから、生きるインフラとしては脆弱でしょうね。
【松村】そういう意味では、ノマド原理主義もいいんだけど、もう少し社会との関係性を考えた方がいいんだろうなというところがあります。ちょっと不真面目な話なんですけど、今のキャリアの良さとか素晴らしさって何で決まるんだろう、というのがすごく面白くて、多くの人が「働く喜びです」と応えてくれると良い社会だと思うんですけど、一方では、自分の労働と対価が見合っているかってすごい気にするじゃないですか。『若者はなぜ3年でやめるか』って本では、成果報酬と謳っても若い人は年収500万円以上評価上がりません、なのに、窓際に座っているおじさんが1,000万円くらいもらっている。勿論、過去に良い仕事をしてきたというのもわかるんだけれど、じゃあ、能力給にする、って言わなければいいじゃんという話で、能力給だけど能力分もらえないとわかった瞬間やめますよね。
【松村】その文脈だと、いくらもらってるということと満足度は繋がってきちゃうと思うんですよ。個人の場合はそういう俗的なアイデアからはもう少し切り離されるとは言え、やはり自分の好きな写真を撮って年収100万円です、というのと、広告会社で1,000万円もらいながらクリエイティブやってますという人だったら、結構違いますよね。今同世代の平均年収ってどれくらいなんだろうという話と、それに大して今自分がもらっているのはどれくらいで、でも仕事に対する満足度とか幸福かみたいなものの関係式は、少し意識しておいたほうが良いと思います。今個人で続けられている人達というのは、会社勤めの人よりも多くもらっていて、仕事の満足度も高いから、ノマドいいよ、と言うと思うんだけど、もっと多くの人が流れこんで来た時に、全部プラスプラスプラスという状態にはならないじゃないですか。
人との対話
【加藤】この間のイベントでは「10年後の私たちを見ていてください」という話をしていたと思うんだけど、太郎君的に10年先の自分がどうあるべきということって、あるのかなと思って。
【松村】個人的には最大限に人に興味がある時期なんだな、と思うんです。9月毎日ブログを書くと決めて書いていて、勿論色々なイベントもあったんだけれど、多分一番多く出てきたカテゴリって「People」ってカテゴリだったんです。意外と人の顔がたくさん並んだなという印象があって、そういう意味でも、人がどういうことを考えているのかとか、どういう話をするのかとかということに今興味があるんですね。
【松村】その人がどういうことをするかというのが一つ重要ではあるんだけれど、最初に言ったように、やるべくしてやってるとか会うべくして会ってるとか、そういうことがどんどん、「偶然だね」じゃなくなるのがこれからだと思っていて、それをより早く人に伝えたり気付かせたりするという役割が、すごく重要だと思うんですよ。なんとなく、これからの10年て、そこの部分に取り組み始めるんじゃないかと感じています。
【松村】今までってテクノロジーとの対話をすごく意識してきたけど、どちらが進歩的かというのは別にして、これからの10年、僕のテーマとしては「人との対話」があって、その周りのツールとしてテクノロジーとか、あるいはソーシャルのプラットフォーム、学習のプラットフォーム、スタートアップするためのファンド、そういうものがついてくるんじゃないかと。個人的には特に人が何かを始めるきっかけとか気付きを与えるあらゆるプラットフォームに対してすごく興味がある。きっかけのエンジェルっていうか、そういうものが多分次の時代の投資家なんじゃないかな、と思っていて、勿論、お金だとか場所だとかもあるんだけれど、もう少し、もっと手前のきっかけから作れるような、そういう投資家像っていうのがあるんじゃないかな。そこに取り組む10年になるんじゃないかとすごい思っています。
【加藤】インタビューとか、僕趣味でやっているだけだけれども、その人のことを知ってて、その人がアウトプットととして世の中に出しているものも知っているんだけれど、インタビューという形を取らないと可視化できないものって多分あって、太郎君が言っていた今の話も、手段は取材だけじゃないのかも知れないけれど、根本には今までジャーナリストとして培ってきた考え方があるのかな、という感じがした。
【松村】Jobsさんの追悼フォーラムのスピーチにも書いたけれど、なるべく体験的なことを素直に伝えようというのが、僕の出発点だったので、そこは共通してるんじゃないかとすごく思います。とは言っても新しい体験も作り出さなきゃいけないから、ピースを一杯持っているような状態。よく『千と千尋の神隠し』の釜爺みたいな状態って言うんですけど、釜爺は手がいっぱいあって、壁一面にある薬の引き出しから、薬草をひっぱりだしてくるじゃないですか。あれくらい引き出しがあると、どんな薬草風呂でも作れるんだろうなとすごく思っていて、そういうイメージですね。
【加藤】それも「人」って対象がきちんと決まっていることによって、百本の手を活用できるようになるのかも知れないね。ちょっと寂しくなる気もしますが、太郎君のアメリカ行きが楽しみです、僕は。

松村太郎 / TARO MATSUMURA
企画・執筆・選曲 / 慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問) /
嘉悦大学非常勤講師
journalist, creative activist, and DJ! / Researcher at Keio University SFC Research Institute / Teacher at Kaetsu Univ.
東京、渋谷に生まれ、現在も東京で生活をしているジャーナル・コラムニスト、クリエイティブ・プランナー、DJ(クラブ、MC)。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。1997年頃より、コンピュータがある生活、ネットワーク、メディアなどを含む情報技術に興味を持つ。これらを研究するため、慶應義塾大学環境情報学部卒業、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。大学・大学院時代から通じて、ライフスタイルとパーソナルメディア(ウェブ/モバイル)の関係性について追求している。