小泉 瑛一
2012.03.08
「On the frontline」
小泉 瑛一 - ISHINOMAKI 2.0
小泉君と僕の関係性を説明するに、横浜の飲み仲間です、以上の説明がないのですが、彼が横浜国立大学の建築学生の時に、ひょんなことから知り合って、せっかく地元の若者なので、色々な会に連れて行って、なんか面白いことになればいいな、などと僕自身も割とお気楽に、彼のこれからを見ていました。
3月11日、東日本大震災が起こります。そこから色々なことが変わりました。小泉君は大きな被害を受けた被災地の一つである石巻にほぼ常駐。現地でこれまでとは違った人達に囲まれ、ISHINOMAKI 2.0というプロジェクトと共に、これまでを走って来ました。横浜に戻って来た時には何度か食事に誘って話を聞いていましたが、僕自身が石巻で現地を見ながら話を聞くのは始めてのことでした。僕は今回の震災を、何よりも小泉君と、その周りの彼を育ててくれている活動越しに見ていた部分がとても大きいのです。3月11日からもうすぐ1年。小泉君へのインタビューを通して、読んでくれる方にも、また違うものが見えてくる、そんなことがあるのではないかと思いながら文字を起こしました。そんな「或る一年」のスタートです。
ISHINOMAKI 2.0
【加藤】よういちが来たのが4月の?
【小泉】4月10日ですね。最初に来たのが。その時はボランティアとしてでした。
【加藤】その時はどういう状況だったの?
【小泉】その時は全然こんな街の様子じゃなかったですよ。自衛隊もいっぱいいましたし。車道の瓦礫を片付けるんですけど、大きい道路から優先だし、どんどん路肩に瓦礫が積み上がっていって、それは日に日に減っていったんですが、車が一台通れるのがギリギリでした。
【小泉】最初は友達と車で来たんです。運転するのも大変なくらい瓦礫も泥もいっぱいあって、泥かきというのはやれる人達がやれるところからなんですけど、後回しにされているところとかが結構あって、一人で住んでいるとか、一人で店をやっている人とかは、なかなか手が回らないので、そういうところを手伝いに最初は行ってました。
【加藤】それはまだピンの時だよね。
【小泉】ピンというか、僕のボスと震災復興支援活動をし始めたばかりのころでした。
【加藤】昨日復興バーに行って、ちょっとお話をうかがっていて、僕としてはarchiXingとかうまくいかなったな、という印象だったんだけど、でもあれを作って一緒に使ってみましょう、という話がISHINOMAKI 2.0の松村豪太さんとかと早い段階で話できたみたいじゃん。そういう意味では良かったなあと。
【小泉】そうですね。
【加藤】あの頃からISHINOMAKI 2.0が形成され始めたのかな。
【小泉】いつぐらいでしたっけ?
【加藤】あれ多分ゴールデンウィークとかじゃないか。ゴールデンウィーク中に作ったんじゃないかな。
【小泉】ああ、相当早いタイミングだったんですね。ゴールデンウィークの時に僕は二回目に来たんですよね。その時は陸前高田と気仙沼の状況を見るだけ見て、石巻に下って来て、その時もあまり泊まるところはなかったので、ここから1時間くらいの鳴子温泉というところに宿をとりつつ、往復したりして行ってましたね。その時は仙台でレンタカー借りて。
【小泉】僕が4月に来て、ゴールデンウィークにもう一度来る前に、ボランティアに行きたいと言っていた横浜の知り合いを豪太さんに紹介して、その頃から豪太さんはプチボランティアセンターみたいな感じになってました。石巻の場合は、市に登録して、石巻専修大学のところがボランティアのベースになっていて、あそこにテントを張っていた人達もいっぱいいましたし、登録してボランティアする方もおられたんですけど、やっぱり煩雑になってしまうし、そんなに大規模とか長期で来れない人たちを細々受け入れていたのが豪太さんなんです。元々NPO石巻スポーツ振興サポートセンターというのをやっていて、元々NPOだったので動きやいところにいたんですね。スポーツやれる状況じゃないし。
【小泉】僕も一回目、二回目とそれでお世話になって、段々少しずつ知り合いも増えました。二回目はお寺の泥かきとかやっていました。加藤さんが昨日歩いた南浜町というエリアなんかも、ちょうど西光寺というお寺が日和山のすぐ下にあるんですけど、山際にあるところなので、泥はかぶったけど崩壊していなくて、ただそこ一体瓦礫の山で、燃えて錆だらけになっている鉄骨とか車とかいっぱいあったし、今みたいに綺麗に更地になってない状態。こんなの片付くのかな、というような状態でしたね、最初は。その西光寺もこの間ダライ・ラマが来るまでになりました。
【加藤】今、ISHINOMAKI 2.0のことは、どういう紹介の仕方をしているの?
【小泉】まちづくり会社というか、まちづくり団体、というような紹介をしていますね。まちづくりって言うと、どうしても行政的な視点というか、偉い人達がやって、それが下に降りてくるようなピラミッドのイメージはあるんですけど、そういうのではなくて、まちづくりもDIYなんじゃないかというか。
【加藤】ある意味、ボトムアップというか。
【小泉】そうですね。下から突きあげていこうというか。下という意識もあまりないですが、民間主体でやれることがいっぱいあるし、むしろトップダウンで下りてくるものは、小さいスケールのものとかコミュニティベースのものとか見落とされがちなので、細かいところは手が届かないじゃないですか。でも、街で本当に大事なのはそういうスケールのものだし、ここを区画整理して、共同建て替えしましょうとか避難ビルを作りましょうということも大事でゆくゆくはやらないといけないと思いますが、1年2年ですぐできる話ではないし、今このガラガラになってしまっている街の中をどうやって活用して、今注目されている段階で人を呼ばないともうずっと来ないままじゃないか、というのがありますから。石巻工房だったり、IRORIだったり、復興民泊だったりというのは、空いているスペースに人が来れる仕組みを作っていってるんです。
【加藤】組織っていうよりはプロジェクトベースで動いている感じだよね。
【小泉】まさにそういう感じです。
【加藤】新しいこと一つ立ち上げました、それ走らせます、誰と誰と誰をアサインして、という。だからすごく小回りの効く組織になっている印象があるよね。
【小泉】そうですね。ISHINOMAKI 2.0は団体とか情報のHubになりたいし、プラットフォームになろうとしている。現実はすごくアナログなところも多いんですけど。例えばNPO団体とか行政機関とか動いてますけど、それぞれ彼らの目的があって、それに対してイベントをやったりとかなので、どうしてもそのジャンルだけになっちゃうんですね。ISHINOMAKI 2.0はどのジャンルに対して特化していくというのはあまりなくて、建築家がいて、都市計画研究室がいて、広告代理店がいて、デザイナーがいて、WEBプランナーがいて、料理人がいて、法律家がいてというような集団なので、僕らはどちらかというとデザイン界隈やクリエイティブ界隈には強いというのはありますが、だからと言ってそれしかやらないということではなくて、フラットな立ち位置で、色々な人が声をかけてきやすい状態でもあるんですね。そういうところを繋いでいければよいし、僕らがHubになっていくというのは重要なんじゃないかと思います。
ショートスパン、プロジェクトドリブン
【加藤】ただプロジェクトたくさん走ってるから、よういちもてんやわんやだよね。
【小泉】そうですね。僕は基本的にどのプロジェクトにも関わるみたいな。勿論、全部一人で完結してしまう人もいるので、ただ写真係として記録取ってるだけとかだったりもしますけど、ずっとここにいて常駐しているってのは、特に最初の頃は僕一人だけだったので、ISHINOMAKI 2.0のインフォメーションマンみたいな感じです。そいうのって結構自分は毎日何やってるんだろうってなりやすいんですけど、でも誰かがやらないといけないことだし。
【加藤】来た時に、自分が何やってるのかわからなくなる瞬間があるって言ってたけど。
【小泉】そうですね、自分たちの説明とかに終始してしまうことも多かったし。
【加藤】でも思うんだけど、学校卒業して、院で研究して、就職して、という世の中のラインがあったとしたら、なんか天から降ってきちゃったものってあると思うんだよ。僕もそうだし、そういうの受け入れると結構楽だよね。
【小泉】本当にそう思いますね。仮にこの震災が僕が大学三年生の時とかに起こっていたら、こういう行動を起こしていたかわからないですし、なんかしらそういう問題意識はあったと思うし、関心はすごい持ったと思うんですけど、こんなに頻繁に来るとか、住むとか、学校を辞めてまでコミットする人間ではないからできなかったと思いますし。
【加藤】それもたらればだからね。
【小泉】そうそう。でもたまたま就職しようと思っていたタイミングで、中国行って大きな建築とか関わりたいなと思ってたんですけど、実際問題はやっぱり、社会的課題の最前線に日本というか東北が立ってしまったなという感じがあって、震災復興というのが今一番やらなくてはならないことなんだろうと思いました。確かに上司のオンデザインの西田さんに「一緒にやらないか?」と言われた時、一週間くらいは悩みましたが。
【加藤】そうだね、俺も会ったしね。
【小泉】うん。どうしようかなと思ってるんですよ、という。今になってみれば、こういう経験はやろうと思ってできるわけじゃないと感じています。ISHINOMAKI 2.0は集めようと思って集まるような人達が集まっているわけじゃないので、たまたま知り合いの知り合いとか、偶然であった人とか、Twitterで集まった人とかというのもいますけど、そういうのを超えて良いチームができている感じはありますね。
【加藤】初めに組織ありじゃないんだろうね。初めに自分のできることがあって、たまたま同じ目的の人が隣にいたから、一緒に動けばもっと良いことができるという。
【小泉】そう、まさにそのパターンですね。
【加藤】そうあるべきなんだよなあ。
【小泉】でもその分、予算だったりとか、環境というのは、最初にはない。でもやってみて思うのはお金とかはやってからついてくるものっていうのがあって、工房は芦沢啓治さんが中心になってやっていますけど、最初は自分たちで持って来た中古のインパクトドライバーが2、3本と丸鋸くらいしかなかったんですけど、それでもやって、ベンチを高校生と作ったりしてたおかげで、Herman Millerが彼らのボランティアプログラムのコラボレート相手に選んでくれたというか、めぐり合っているので、やっぱりやってから、人だったりお金だったりついてくるものだと思いましたね。
【加藤】それは本当に大事なことで、賢い人達が制度設計の不備だ、とか言うじゃない。実際不備があるんだと思うんだけど、それを打開しようと思って、この制度こう直せって話ではなくて、多分誰かが何か一つ正しいことをして、その正しいことを見た人が次に正しいことをして、とやっていけば、最後に制度はついてくるものだと思うんだよね。
【小泉】民主主義の限界というようなことがよく言われていますけれど、その制度のダメなところを批判するだけではなくて、そのなかでできることをまず実践してみることの方が最終的に制度を変えて行くのではないかと考えています。思想や方向性は改革を目指しつつ、ベタな活動を地道に続けているのが今の状態です。
【小泉】ついこの間、IRORIに国際交流基金の視察プログラムでエジプト、ヨルダン、チュニジアなどから若手の方々がいらっしゃったんです。
【加藤】ああ、アラブの春の人達だ。
【小泉】アラブの春を本当に目の前で見てきた人達が来て、大体20代30代の若手ジャーナリストや社会起業家の人たちでしたが、彼らは国のシステムが崩壊して、これから国を作るぞという状況。だから震災とかいうよりも、ある意味ではシリアスというか。エジプトだって僕らのイメージではアラブ諸国の中では全然自由だろうし、宗教も比較的ゆるやかそうだというイメージありましたけど、彼らも生まれてからずっと大統領が変わってないみたいな国にいて、独裁国家という色が強かったみたいで、彼らは本当に真顔で理想のリーダーとはみたいなことを語るわけですよ。僕らだったらちょっと斜に構えてしまうところを。やっぱりそういうシリアスな状況の人達がいて、彼らがすごく僕らに対してあるシンパシーを感じてくれていたので、そういうところに対しても見せれるものってあるんじゃないかなって。日本は何かシステムが打倒されたわけじゃないですけど、それに近い機能不全は起こっているじゃないですか。じゃあ自分たちでやれることはやっちまおうぜ、そういう感じで復興というのも語ることができるんじゃないかなと。
【加藤】多分、僕もだし、よういちもだったけど、斜にかまえて話してたと思うんだよ、震災前は。色々なことに関して。だけど、基本的なことを大事だと言える、というか、言わないと次のことを自分ができないな、と思う瞬間が出てきていて、それはなんかアラブの人達が僕らと文化的に違って育ちが違うからってことよりは、ある種の使命感というか、責任感というか、そういうのが少なからず日本にも必要だってことになって来たんじゃないか、と思うね。
【加藤】あとやっぱりさっきHubという言葉を使ってたでしょう。現地にいることはすごい大事なことだなあと思っていて、アラブの人達とか、Herman Millerさんとか、これから来る人達に対して、自分たちが日本の変革を作れなくても、チャンスを作れる場所にあると思うんだよね。リソース持ってるんだけど、現地の声よくわからないから使えない、みたいなことをアジャストしてプロジェクトにできたりするわけじゃん。すごい意味があるよね。それだったら別に組織大きくならなくても良いじゃん。
【小泉】そうなんですよ。僕らは僕らでISHINOMAKI 2.0というのがありつつ、僕らだけで解決しようなってさらさら思ってないので、外部のリソース、Herman Millerはまさに良い例だし、これから先、色々な会社が石巻に目を向けた時に、彼らも何かしたんだけれどリソースの使いどころがわからない。自分たちの持っているナレッジの使い出がわからない。僕らはここにいるから、何か一緒にやりましょう、そこで現地のニーズ、だけじゃなくて、誰も今必要と感じてないけれど、10年先必要になってくるんじゃないか、というところまで見て、うまく軌道に乗せるところまでいけばいいのかなと思ってます。ISHINOMAKI 2.0がずっとやるというだけじゃなくて、地元の人達が施設だったり仕組みだったりをうまく使って、制度づくり、まちづくりに自分たちが参加できるような枠組みまでいけたら面白いと思います。
【加藤】多分、プロジェクトドリブンのこういうやり方って、今やっているプロジェクトは、次のプロジェクトの餌になれば良いと思うだよね。今日話してくれたことも、全部前のプロジェクトが肥やしになっているわけじゃない。短期的な目標で何かをやっていっても、それが本当に誰かにとって響くものであれば、どんどん次のプロジェクトに繋がっていくんだと思うんだよね。それは、よういちが馬車馬を続けないといけないってことだよね。
【小泉】僕の肩書きはISHINOMAKI 2.0の馬車馬ですから。
石巻に来て欲しい
【加藤】あとそうだなあ、一つ聞いてみたいと思うのは、今回僕、石巻に来ていますとか、今いますとか、色々な人にわざと言ったところもあって、やっぱり、「見物に行くわけにはいかないけど、見たい」っていう人とかも結構いて、そういうことってどうしたら良いと思う?
【小泉】僕だけじゃなくて地元の豪太さんだったり、もう一人の代表、阿部久利さんもよく言ってるんですけど、とにかく見に来て欲しい、来て欲しい、ということは言っていて、やっぱり見に来たい、行ってみたいという人達は少なからず関心がある人だと思うんですね。関心がなければ別にいいやと思うと思うんですよ。震災についてブログとかTwitterとかで語ることもなく。一番良くないのは、見てもないし、聞いてもないけど、想像だけでネットの情報だけで語っちゃうことだと思うんですけど、一回見に来てもらって、そこに来て色々な人達と話して、自分が持っている知見を「これだったら生かせるかもな」と思えば、またそこで東京での活動とかに参加してもらうのもいいし、そういうのがなくても、こっちに来て1日2日でも生活してみて面白いなと思ってもらえればいいと思うんです。東京にはない食事でも良いし、夜の楽しみ方でも良いし、意外と安くぶらぶらできるとか。まだそういう場所は少ないですけど、例えば復興バー行って、また復興バー行きたいな、でも良いと思うんです。なかなかないじゃないですか、ああいう距離感で地元のおじさんと語れる空間。そういう感じで良いと思うんですよね。
【小泉】よく面白い都市とか、面白い街とか何かって考えるんですけど、人の流動性が活発な状態、流動度合いが高い状態ってのが一つ面白い街の指標なんじゃないかと思うんですね。勿論、通り過ぎるだけでは駄目なのかも知れないですけど、外から人が来て生活していくとか、街の新陳代謝が起こっていくみたいなことが、生粋の地元民みたいな目線で言うと、ちょっと違うなと思うのかも知れないですけど、やっぱりその状態って言うのは必要だと思うんですよね。特に地方都市に関しては。それは観光だけではなくて、第ニの故郷みたいな言い方でも良いのかも知れないですけど、観光地じゃないけど別荘を持つとか、二重生活をするとかでも良いですし、それが東京とハワイ、みたいなことじゃなくて、東京と石巻とか、仙台と石巻とか、山形と石巻、地方都市と地方都市のセットとかもありだと思うので。生活するにはすごく良い場所だと思いますし、そういう新しいライフスタイルみたいなのを試したいという人にとっては、今の状況ってやりやすいんじゃないかなって。
【加藤】そういう動機付けもプロジェクトとしてやれると良いよね。パッケージするのか、なんなのかわからないけど。
【小泉】その辺は何となく考えているのは、「2.0不動産」というプロジェクトもひっそりとあって、それはこういう街中の物件を紹介していくプロジェクトで、石巻出身の建築学生が始めたんですけど、それは最初不動産という名前をつけたんですけど、実はライフスタイル提案なんじゃないかと思っています。雑誌でもシェアハウス特集とかありますけど、東京の都心だったり、農業やりながら皆で古民家再生とか、極端な事例じゃなくて、石巻で実際僕らもそうだし、ボランティア団体辞めて残っている人達って、皆基本シェアハウスで暮らしてるんです。アパートなどの空室物件も少ないですし。彼らの生活を紹介して、意外と結構面白そうだな、という風になればいいなと思っていて、フリーペーパーの石巻 VOICE vol.2では、その特集のページも組む予定なんですよね。
【小泉】そこも実践というか、まず見せてみる、というところですね。こんなことがやれますけどお金ください、ではなくて、やってますからとりあえず見せちゃいます、という。それにお金はつかないかも知れないけど、被災地ってイメージあったけど、意外と皆楽しそうに暮らしているじゃん、というのが見えてくればいいのかと思います。
小泉 瑛一の1年
【加藤】ところで小泉瑛一としてはこの1年どうだったのかね。個人のスペックとして。別に反省しなくていいからね。
【小泉】1年というか、こっちでやってみて、自分の経験としては、例えば家具を作る基礎を学びながら、民泊っていうサービス業しながら、まちづくりとかNPOとか社団法人の仕組みとか、社会人のスキルの一端とかを、全部同時並行で学んでいる状態です。一般企業に就職してある部署で経理だったら経理、設計だったら設計をやるよりも、浅く広くではあるけれど、なかなかできない修行期間だと思います。
【加藤】いや本当にそうで、普通に会社に就職していたら、こんなにたくさんの人達と毎日会って、話をして、その人達が一つのトピックについてどう考えてるかっていうのを知見として吸収できる機会って絶対ないなと2日間見てて思って、それは絶対に価値があることだと僕はすごい思うよ。
【小泉】そうですよね。否が応でも人に会いますしね。
【加藤】そうだよね、インフォメーションマンだもんね。
【小泉】あとやっぱり、30代中盤の人が多いISHINOMAKI 2.0はのなかでは若い方ですが、他の団体とか、最近特に地元の若手や同世代と知り合うことも多いですけど、同い年とか年下とかですごいしっかりして、組織の中核になっているような人もいるし、僕みたいなうっかりいついちゃったという話じゃなくて、完全に組織の要員として機能している人とかいて、彼らに負けていられないなと。職人的な人もいるし、オーガナイザー的な人もいますけど、同世代でもすごい人いっぱいいるなと思います。
【加藤】でも、それ見て不安にならないでしょ。
【小泉】不安ではないですね。
【加藤】多分、東京で同じことあったら不安になるんだよ。自分がやれてないからって話だけど、今よういちは確実にやっていることはあるし、話し聞いてても、悔しさとかはあるかも知れないけど、不安にはならないと思うんだよね。不安にならずに、やりきれるかどうかはわからないにしても、仕事できるって幸せなことだから、多分そこにどういう結果とかどういう成長があるかはわからないけど、でも何か一区切りになった時に、それを全部肥やしにして次のこと始められるような経験はしているんだと思うよ。石巻のことと同じように。話聞いていると、楽しいでしょ。今やっていることが。
【小泉】楽しいですよ、本当に。
【加藤】深刻な話だから楽しいとか言っちゃいけないのかも知れないけど。
【小泉】いやいや全然、それで良いのだと思うんですよね。昨日。加藤さんが言っていて、美味い食事が安く食べられるということや、いろいろな人と出会えるという面白い状態がありつつ、でもちょっと海の方に行けば更地になってしまった被災地というのがある。それがほぼ等価に並んでいるという状態が今の石巻、今の被災地だと思うんですね。被災地と言ってもいつまでも震災直後ではないですし、面白いこともいいこともたくさんある。でも街のハードとしての復興というのはまだまだ先というのが現状です。
【加藤】あたかも一段落したかのように報道されてたりするけど、まだ始まってもいないくらいの。
【小泉】そうです。外からのイメージでは津波で被災して、皆仮設住宅に住んでるんじゃないかとか、津波のこととか聞いたら駄目なんじゃないかとか。でも同じ日本人だし、どっちかって言うと石巻の人達はその中でも明るいし、ラテン系の人達が多いので、やっぱり知ってもらいたいと思うし、語りたいという部分もあるんですよね。「津波の時はさ」とか。勿論、親族が亡くなった人達はたくさんいるし、笑って済ませない話なのは事実なんですけど、でもまずはリアルな声を共有するところから始まればいいんだと思います。だからすごく加藤さんがフラットにこういうものが並んでいるものを見た、っていうのは良かったんじゃないですかね。
【加藤】ありがたかったと思うね。
【小泉】意外じゃないですか。こんな言い方は変だと思うけど、ってFacebookでも書いてましたけど、その感じというのはすごく正しいと思います。
【加藤】ちょっと話違うけど、昨日石巻で違うプロジェクトやっているおじさんに会って、たまたまテレビのニュースで石巻の卒業式の映像流れてて、なんかそれに関して僕が皆良い顔をされててみたいなことを言ったら、いやあ加藤くんそれは違うよと。色眼鏡で見ちゃだめだよ、って言われて。実際それで学生さんとか先生が予備校の勉強をしているのを見学させてもらったら、本当に普通の予備校で行われているような状況、というのがあって、石巻に普通の状況を作るのって、色々な人達がすごい大変だったと思うんだけれど、でも実際に行われているのは極めて普通のこと、それってすごいことだなと。僕も海の方見て来たときは、色眼鏡がかなりできちゃって、人もそうなんじゃないかと思ったけど、僕が一回見ただけで同じ気持ちがわかるような、そんな浅い経験でもないから、できるだけフラットで見れるといいんだろうね。
【小泉】そうだし、もっと言えばというか、ISHINOMAKI 2.0としては、というか僕もそうだと思うんですけど、一方で普通に戻りつつある、みたいなところもあって、震災前の状況、これだけ被災しても何も変わらない日常に戻りつつある。それは良いことでもあるんですけど、震災とは別の疲弊する衰退する要因を甘んじて受け入れることにもなってしまう。住んでいる人一人一人が次の街をどうしたい、とかこういう風に変えていきたいという部分も、忘れてはいけないと思うんですよね。
【加藤】両方やって行かなきゃいけないから、バランスとれるのは、それこそISHINOMAKI 2.0みたいな組織なんだろうと思うし、そういうのがすごい役割なんだろうね。
【加藤】一応これで締めくらいの感じなんですけど、いつもこんなこと聞かないんだけど、最後に我々の仲間にメッセージをもらえますか。それを最後に書いておくので。
【小泉】GXEB諸兄には、石巻に遊びに来てください、というのが素直なところで、向こうに僕が行って飲みに行くのも素晴らしいんですけど、それだけじゃなくて、気軽に、被災地の現状を見てください、遊びに来て、飲みに来てくださいよ、と言いたいです。結構面白いところありますよ、というのが素直な実感です。
【小泉】その上でやれることがあれば是非一緒にやりたいですし、面白いと思うことがあればどんどん教えてもらいたいし。そういう感じで、いわゆる復興というフェイズに、日本中の人達が関われればいいのかなと思っていて、僕も石巻に関わりだして1年も経ってないですけど、ここで関わって学んだこととか、持った意識みたいなのは、将来、僕の仕事というのも勿論ですけど、他の災害とか、危機的状況に対しても応用できると思うんですよね。
【小泉】勿論、地方都市の衰退っていうのもどこにでも共通する問題だと思うし、災害からの復興っていうのも誰もが実は潜在的な当事者になり得る可能性があると思うんです。僕は地元が愛知県なので、東海大地震が親の代から来るって言われ続けているんで、将来的に東海大地震が起こって、そうしたら名古屋とかも被害出ると思うんですけど、そういう時に役立てばいいかなと思います。逆に言うと今回の東日本大震災では名古屋とか揺れを感じてないので、危機意識薄いと思うんです。横浜とかもそうですけど。すごい揺れたけど、人々の行動や街のインフラが変わったわけでもないので。だからそういう意味でも今の状況を見ておくってのは色々な人に損じゃないと思いますね。
【加藤】色々なところで必要とされるだろうからな。
【小泉】僕自身どらくらい石巻いるかわからないですけど、こういう感じで世の中と関わっていくんだろうな、というスタンスが何となくできてきたので。ずっと石巻にいるかも知れないし、外国に行って発展途上国とかのプログラムとかに関わってくかも知れないですし、わからないですけど。
【加藤】色々な可能性があるよね。さっき言ってた通り、誰でも当事者になる可能性がある。でもまずは、よういちがこれからも石巻で馬車馬をやってください。
【小泉】頑張ります!