東 宏樹
2013.03.20
「揺れやすさ、というファクト」
東 宏樹 - 独立行政法人防災科学技術研究所 社会防災システム研究領域 災害リスク研究ユニット
昨年末出かけたTEDxKeioSFCで、ちょっと懐かしい顔と再会しました。東君は大学の後輩なんですが、例によって社会人になってからの知り合い。鎌倉でこんなことをやってみたい、みたいな話を酒飲みながら聞かせてもらったりしていたのですが、すっかりご無沙汰しておりまして。せっかくの再会なので、当日知り合った学生さん達と歓談した後、彼の誘いの藤沢へ。そこでビジネスの相談をもらいます。
彼は今、防災の仕事をしている研究者になっています。東日本大震災から2年経った現在、東君とは再会の後、色々なことを話して、僕もやっと、というかETとしてやっと、防災ということに関わっていく道筋が見えて来たように思います。今、着々と進めているプロジェクト、そのキーパーソンが東君です。
防災科学技術研究所
【加藤】防災関係に関わるようになったのは、震災の前だっけ、後だっけ。
【東】前です。 2010年の5月に防災科学技術研究所に入りました。
【加藤】元々そういう研究をやってた人、ってわけじゃないよね。
【東】そうです。テレビで番組を作ってました。
【加藤】どこかのタイミングで研究畑に戻ろうって思った理由みたいなのってあったの?
【東】いや、ほとんどないですね。まさか自分が戻ってくるとは思ってないし、国の機関に属するとも思ってませんでした。
【加藤】それは普通に就職面接を受けて、みたいなことだったの。
【東】人の縁で、紹介です。
【加藤】ああ、なるほど。
【東】番組を作ってる会社を辞めた後、地域の振興活動みたいなことをしていて。
【加藤】鎌倉?
【東】そうです、鎌倉で。そこで知り合った仲間に紹介されて。やりたこととかを周りの人にたくさん話してたんですよ。鎌倉で観光をITで盛り上げることをしたいとか、企画書を書いて、色々な人に見せていたんです。自分でビジネスを立ち上げようかなと思ってたんですけど。
【加藤】僕と酒飲んだのも、その頃だよね。
【東】そうですそうです。そうしたら、いつの間にか、その話がうまい具合にそういう人材を欲している機関があるという話と繋がって、機関の名前も言われずに、どこかの研究所らしいんだけど、って言われて。
【加藤】NERVか?みたいな。
【東】そうそうそう。お役に立てるならと思って、ほいほい行ったら、ちょうど防災の研究所で、最初は鎌倉からつくばまで2時間くらいかけて通ってました。
【加藤】そら大変だ。
【東】そうこうしている間に、2011年の3月に地震が起きて、僕を雇ってくれた人からは「もう逃げられないから」と言われ。
【加藤】この国におけるタスクの重さが変わっちゃったというか。
【東】そうですね。元々すごい重要なことをやっているとは思ってたんですけど、やはり震災の前と後では、責任感というか、重大さというか、シビアさが変わりました。何に責任を持つかということを改めて自覚したというか。
【加藤】仕事も大変そうだしね。
【東】そうですね。
【加藤】震災の当日のエピソードが、ある種、面白いというと変だけれども、興味深かったと思っていて、強震モニタをUstreamで配信したという話。
【東】ああ、あれは当日ではなかったんですけど。当日は僕はただの被災者で。田町で被災して、自分の家がどうなっているかを、自分が関わっていたアプリのデータで見れたというくらいがエピソードなんですけど、それとは別で。3月終わって4月に入るくらいですかね。3月中に僕一回被災地に行ってるんです。まだ車両規制で車が入れない頃に、国の研究機関などに発行される、規制区域にも入れるパスみたいなものを持って中に入って。それが一段落、被災地対応が終わって戻って来てみたら、強震モニタがパンクして大変なことになっているということを言われて。強震モニタは別の部署なんですけど、一応、僕はその対応もして良いことになっていて、なんか良いアイデアないですかと言われたので、「しょうがないからUstreamで」と言いました。それまでイベントやパーティでUstreamで中継するというのは見ていたので、映像畑にいたということもあって、スクリーンをそのままUstreamで流せば良いんですということを提案したら、あまりそういう経験がある人もいなくて、自分でセットアップして出したという流れです。
【加藤】それは一旦、外からのアクセスは一切遮断して、ということだったの?
【東】ええとですね、実は生きてんですけど、ほとんど見れない状態だったんです。線が細くて500人くらいしか見れない状態だったんです。でも蓋を開けてみたら何万人の規模で同時にアクセスが来るような状態で。地震が起きると人が見に来るという。
【加藤】しばらく余震が続いていたものね。
【東】そうですそうです。余震が起こるたびにアクセスが増えるという状態で。あんまりあれが防災に直結しているかというと、僕は緊急地震速報とパラレルで見比べて、それを信頼できる情報としての揺れを見てもらうことは大事だなと思うんですけど、自分が退避行動を取らないという人も多くて。面白いから見ちゃうんですよね。地震が広がっていくのが見えるから、安全な退避行動を取らない、机の下に隠れない、という人が大半で、でも、元々興味関心がない人に取っては、日本でこれだけ観測点があって、それを常時見ている、そしてそれを情報として人に伝えるという仕事をしている人がいる、というのを知ってもらえたというのは大きな功績かなと思います。
【加藤】今、観測点っていくつあるんだっけ。
【東】うちで管理しているので約2,000点。気象庁と自治体ごとに設置している地震計、もろもろあわせて公的なものは約4,000点くらいですね。その数が今後増えることは多分ないだろうと。
【加藤】もう十分カバーできている?
【東】いや、予算の都合上。
【加藤】そういうことか。
【東】設置にも費用が1点あたり1,000万円くらいかかりますし、それを維持するにもものすごいコストがかかっているんです。
【加藤】ある種、そこからはソフトウェアの力で精度を出していかないといけないようなところなのかな。
【東】ええ、そうですね。まだまだ解決しないといけないIT分野の課題がたくさんある。圧倒的にまだ地震防災に関わるITのプロフェッショナルの数が足りてないなという実感があるので、これからどんどん発展していくだろうなとは思ってます。
防災に寄与する
【加藤】なんか今話を聞いていて思ったんだけど、恒常的に問題としてある問題じゃないというか、例えば、学生が就職できません、みたいに毎年来るものだったらさ、それに対して毎年こういう対策を打ちましょうってしやすいから、予算化もしやすいと思うんだけど、防災ってある意味ある日突然起こって、そこから今まで使われてきた言葉だと風化していって、またあるとまた思い出してってことだから、ずっとエンジニアとか、もう少し違うリソースをコミットさせ続けるっていうのが難しい分野なのかも知れないよね。
【東】そうだと思います。
【加藤】でも今回のことがあまりにも大き過ぎたから、皆の意識も変わったかなという気もするけど。
【東】本当はあるべき姿というのをお話しすると、防災の上に経済活動や生活が成り立つ。電気もそうですよね、地震のせいで原発が止まったので。そういうインフラの一番ベースのところに防災の取り組みってあるべきで、初めにきちっとそこが整備された上で、そこが安定稼働したら社会って色々発展するという。考え方の順序としては防災というのは極めて下のレイヤーにあると思っていて、それがまだきちんと整備されてない状態だったというのが、東日本大震災の反省だと思うんです。そこの部分に興味を持って、社会的な意義を感じて、目立たない仕事ですけど、インフラを作る仕事だと思うので、参入してくれる人が増えると僕はすごく良いなと思っています。
【加藤】そうだね。
【東】加藤さんのおっしゃる通りで、風化するというか、自分がやったことの成果というのが、災害が起きるまでわからないんですよ。だから、因果なものなんですけど、失敗したらものすごく追求はされるんですけど、うまくいってても被害があまり出なかったということの報道ってなかなかされない。ちゃんとそれがうまく言ったように報道された数少ないケースだと思うんです、「釜石の奇跡」は。それまでは、こんな取り組みが、それをやってない時に比べて、どれくらい効果があったというのは、あまりニュースバリューがなくて、こんなにひどい被害が出ましたというのはたくさん取り上げられるけど、逆に被害が出ませんでした、はあまり取り上げられない。それは仕方ないというか、人がどういうトピックに興味をもつのかというところと戦わないといけない部分もあるし、後は科学的に検証が難しいというのがありますよね。
【加藤】そうだよね。サイエンス・ジャーナリズムみたいなものが、未成熟なところもあるからね。
【東】実際にどの取り組みがどれくらい効果があったのかという時に、効果って言うのは総和じゃないですか。取り組みA、取り組みB、取り組みCというものが防災力を高めました、社会の脆弱性というか脆さをカバーしましたということって、ちょっとずつ、ちょっとずつのつぎはぎなんです。自然災害は色々な風に襲って来て、どのつぎはぎをした人が偉かったって話じゃないじゃないですか。結局、社会が自然災害に対して強くなったってことが良いことなわけで、切り分けもできないから、どの取り組みが有益であったかというのを尺度として評価するのは極めて難しいと思います。
【加藤】だから、自然を相手にシステムで戦わないといけないということだよね。
【東】そうですそうです。その通りです。でも、イメージはできるじゃないですか。緊急地震速報すごい役に立っている、と皆感覚値として持っている。そういう取り組みをもっとやっていけという後押しをしていただけると、すごくありがたいです。
【加藤】ちょっと話しそれるかも知れないけど、こないだ『石巻市立湊小学校避難所』という映画を観て、ある意味、心の問題とかかも知れないけど、ああいうものを見ることだって、もしかしたら防災対策の一環かも知れないよね。
【東】その通りですよ。記録をしておくということと、その結果どうなったのかということを次の災害に備えるために学んでおくというのは一番基礎にあるべきかなと思います。
【加藤】そうだよね。勿論、被災された方の状況を把握するとか理解するとか感銘を受けるということも大事だけど、自分のこれからのための経験則としてそういう情報に触れていくってことも意味があるのかなと思う。
【東】おっしゃる通りです。共感する力ですよね、すごい大事なのって。震災で家が津波に流されて身内の人をなくされたという方がいた時に、それを自分のこととして置き換えられるかどうかだと思うんです。例えば沿岸に住んでいる人だったら、自分の身にも起こり得るということを想像して、その人の話を聞きながら、その時自分だったらどうするかということを、悲しい気持ちに共感した上で、それがきっかけになって、自分の行動をどうしたら助かるかとか、想像に結びつけて、そこから初めて実際に行動できるようになると思うので。データを防災科学技術研究所でも出してますけど、結局、無機的なデータとか、どういう確率で何が起こりますということを言うだけでは、人は動かないと思っていて、やはり気持ちを動かす、という時に共感とか想像とか、そういうキーワードは避けては通れないと思っています。
【加藤】今、話しを聞いていて思ったのは、例えば、映画を観る、そこに感情移入して、自分の行動に置き換えて考えようと思った時に、初めて一般の人達に対してはJ-SHIS Mapみたいなものが生きてくるのかも知れないよね。
【東】そうですね。
【加藤】そういう時の材料にできればいいよね。
【東】その次のステップのために、欲しいと思ってもらえるデータを用意しておく、ということもとても大事ですよね。じゃあ何をやったらいいのかと思われてしまうと思うんで。そこに立ち向かうためのツールを用意しておく。それをうまく使ってもらって、基本的には自分の身は自分で守れるように、皆が頑張るのを手助けしたいなと。
揺れやすさ、とは何か
【加藤】考え方がわからない部分が2年経ってもあるんだと思うんだよね。特にJ-SHISで出しているような「揺れやすさ」という概念自体が、地層の情報とかはニュースでも扱われたりするけど、でもじゃあ日本が揺れやすいってどういうことなの?ということを可視化してわかる形で受け取れてる人ってそんなに多くない。
【東】おっしゃる通り。今日もここに来る前に文部科学省の地震本部の会議に参加させて頂いてたんですけど、日本の自治体が出している揺れやすさマップというのは、実は揺れやすさマップではなくて、ある地震を想定して、シナリオ地震と呼んでいるんですけど、その地震が発生した時に、自分達の地面が震度いくつで揺れますよというのをマッピングしたものなんですね。地震が起こって、その揺れが伝わってきて、実際に土地ごとの揺れやすさを加味した上で、震度を表現しているから、揺れやすいところはちょっと赤くなって、揺れにくところはそんなに赤くない、という地図が一般的に出回ってるんですけど。
【加藤】それは一つの震源に縛られた情報ってこと?
【東】そうですそうです。その震源ごとの強さ、同じ震源であっても、どんな地震が起こるのかというのはバラつきあがあるので、その震源が震度6強の地震を起こすかも知れない、もっと高かったり低かったりするかも知れない、違う場所の震源が影響を及ぼすかも知れない。だけど、どこでどんな地震が起こるにせよ、基本的には自分のいる場所の地面の硬さというのは、そんなに変わるもんじゃない。そこを知っておく、どの地震が起こっても、自分の住んでいる場所は揺れやすいのか、揺れにくいのかということを意識しておくというのは、とても有益だと思います。それは地震がいつどこで起こるかということがもしわかるのであれば、それは大して重要なデータではないかも知れないですね。だけれど、地震の発生する日時と場所がわからない以上、最も「ファクト」なデータとして扱えるものが「揺れやすさ」なんです。硬さという情報は調べればわかることなので、調べた結果のデータという意味では事実なわけです。事実を知っておくというのは、ものすごい武器になる。
【加藤】そうだよね。変数と定数みたいな話でさ、揺れやすさは定数だよね。どこで地震が起こるかは変数。
【東】そうですそうです。おっしゃる通り。予測と事実というのがあって、緊急地震速報の例を取ると、緊急地震速報は予測なんですよ。ある二点くらいから観測した地震の揺れによって、震源と地震の規模を測定していち早く通知を送る。それはそれでとても大事です。強震モニタというのは、実際の観測点が揺れを記録したのを全て面で見ているファクトなんです。そのファクトであるデータを元に、どのような対策をしていくのかというアプローチというのは、予測だけで動くのとは違う安心感で行動ができると思いますし、違う意味があるはずです。出てくる情報が、予測想定モデルと言われる、東海東南海三連動とか、マグニチュードいくつ、死者何万人、被害額何兆円みたいな話っていっぱいニュースで出てると思うんですけど、それは人がつくりしものなんです。モデル、想定なんです。実際に起った東日本大震災で、被害者が何万人で、倒壊や流出した家屋が何十万棟ありますというのは事実なので。そこの値の違いというものを、最近ものすごく強く意識するようになりました。それはとても本質的に重要なことなんだなということを考えるようになりました。
【加藤】後は専門性の高いデータを、防災科学技術研究所としてわかりやすくしていくとか、使いやすくしていくということも大事だと思うけど、もっと色々なところにそういうデータが遍在するようになると本当は良い。
【東】そうですね。それはAPIとかJ-SHISで出しているデータを、備えるべき情報に対して、色々な形で表現し得るなと思っていて。なるべく生のまま、そのまま、それから計算している結果を出してもいるんですけど、計算する前の、計算に使われた数値も出しているわけです。とにかくオープンにして、色々な人が値を使って再解釈して、自分はこういう風に思うから、こういう値をこう使ってこういう風に備えればいいと思う、最終的に自分の立場に結びつけるということの間に、ものすごく色々なやり方があり得る。それはテレビに強震モニタが出てくるようになるということでも良いし、そこの間のメディアなりインフラなり、どこに入るかにかかわらず、それに対応できるデータをデータの出し元は出すべきですし、それに触れるユーザのアクセサビリティというのは、間が豊かになればなるほど高まっていくと思うんですよね。この間、Googleが検索結果のところに防災情報を出してくれるようになったと思うんですけど、あれもものすごく正しいなと思っていて、どこかが出しているから、自分はその競合になるから出さない、という意思決定って、ビジネスの世界ではよくあると思うんです。ここがもうやったからいいやみたいな。でも、こと防災とか災害対応に関しては、どこで何回見ても良い。それくらい重要な情報だから、それを色々な形で色々なメディアに出して、うるさくても良いと思うんですよ。極力、情報を受け取ってない人がいないようにしてあげるというのが、皆で取り組む防災に対する人間側のできることなんじゃないかと思います。
【加藤】後はやっぱり、震災ビッグデータって言い方があるけどさ、色々なプレイヤーというか企業が、具体的なことは言えないけどそういう情報を持っていて、そういうものとうまくマッシュアップしていけると良いよね。
【東】そこも変わっていって欲しいですね。個人情報とか、ビジネスに関する自分達がそれで利益を上げられる情報とかは出せない、ということはあると思うんですけど、僕はどちらかというと、出して、それによって評価を得て、本業が育つっていう出し方ができるとすごく素敵だなと思っていて、僕らが出しているのはただのハザードのデータなんで、人間の社会の側で、例えば交通がどうなっているかとか、人口がどう分布しているとか、どの建物がどんな強さがあるとか、そういう人間の社会の活動の側の膨大なデータというものと組み合わせない限りは、被害の推定もできないですし、かなり無力というか、自然そのものの値しか持ち得てないという部分もあるので、是非社会活動を行っている方々の持っている値というのと掛けあわせるというのは、重要だろうと考えていますし、国に取ってとても大事なことだと思います。
【加藤】戦前と戦後とか、高度経済成長の前と後なのか、IT革命の前と後なのか、何が一番変わったかというと、国しか統計情報と呼ばれるようなものを持ち得なかったのが、デジタル化されていく過程で、各企業が統計情報を持つようになったんだと思うんだよね。なんだけれど、その情報を各企業だけで持っている状態だと、なんか新しい使い方というか、平たく言うとイノベーションは起こり得ない気がしていて、ツールに何かイノベーションが生まれれば、今まで使ってなかった人達も、それを便利に使えるようになったりする可能性がある気がして。ちょっと抽象的になっちゃったけど。
【東】でも、そうだと思いますよ。出した結果の方がイノベイティブで、より社会が進化するんだと思います。それはその通りで、そこにもう一つ次の次元のビジネスを思い描いて、戦略的に出す、というのがすごく正しいんじゃないかと僕も思います。
【加藤】ある意味、防災にコミットすることが社会正義に結びつく雰囲気にもなって来ているからさ、そういうのは引き続き僕も考えていきたいなと思っています。
【東】ありがとうございます。すごくありがたいです。
防災現役
【加藤】今までずっと防災科学技術研究所に関わる意見を聞いてきたんだけど、家族持ってるわけじゃないですか。一家の大黒柱として防災に対して思うことってありますか?家にエマージェンシー・キットはある?
【東】あの、持って歩いてます。充電器を持ち歩くとか、保温カイロとか、ラジオとか。
【加藤】なんか、どの人がどれくらいそういうもの持っているかとかわからないよね。勿論、今、Amazonとかでも検索すると山のように出てくるし、そういうことをビジネスにしている人もいると思うんだけど、意外とわかんないよね。どれくらいの家に配備されているかとか。
【東】僕はそこが本質だと思うんです。自分の鞄が重たくなるのは嫌じゃないですか。だからなるべく一つのものに集約して、それは例えばスマートフォンですけど、とにかく荷物を軽くするという涙ぐましい努力の結果なわけですよ、スマートフォン。なのに、防災の、いつ来るかわからない時のために、防災グッズを持って歩くかという意思決定ですよね、それは自分が許容できる普段の荷物の重さというのを片方の天秤にかけて、だけど何かあった時に自分が助かる可能性、それだけの効果があるかというと、天秤がバランスするところで皆持てば良い。僕は結構荷物が重くなっても大丈夫なので持って歩いてますけど、でもまだまだ持って歩かれてる方は少ないと思いますけど、何かしらの用意をしているという方の数字はかなり上がっていますけど。
【加藤】震災をある種、首都圏で経験して思ったんだけど、被災地のそれとは違うと思うんだけど、自分が助からないと、近くの人に迷惑かかるなあと。ふと考えたんだよね。よくさ、人生終わる時はぽっくり行きたいみたいな話あるけど、一方で、でもそういう災害の時には助からないと、という感じがすごいこないだして。
【東】人は誰かのことを助けることができるのかというのはすごい深いテーマで、自分以外の誰かを助けるというのは、災害という環境が激変し続けて、しかもシビアな状況に置かれている時に、まず自分の身を自分で守るということを成し遂げた人だけが、他者に手を差し伸べられるということだと思うので、一家を守るという言い方を男性はしますけど、そうじゃなくてまず自分の身を守れるようになってください、というところから見直して欲しいです。
【加藤】優先順位の整理の仕方としてはそうだよね。それって変な話、仕事のこともそうでさ、自分の面倒見れないうちに、人の面倒見れるかよってところだったりもするからね。
【東】そうですね。相当、大人であることが求められますよね。
【加藤】でもさ、東君がこれからどれくらいこういう研究職を続けていこうと思っているかわからないけど、防災の話はずーっと続けていかないといけない話ではあるよね。3月11日を忘れない、って言えるんだけれどもさ。
【東】そうなんですよね。僕なんかまだ全然駆け出しのペーペーで、周りの人は本当にすごい人ばかりなんで、だから伸び代というか、もっとやらなきゃいけないことがたくさんあるということだけが見えていて、先にものすごい長い道のりがあるし、それは自分で貢献できる部分がある限りはコミットして取り組み続けたいと考えています。
【加藤】まあ、伸び代が見えなくなったら、隠居すれば良いと思うんだよね。
【東】そうです。
【加藤】それが見えているうちは走れるよね。防災現役というと変な話だけどさ、そういう問題に対して自分が現役でいる、という意識はすごい大事かも知れないね。今年の3月11日に考えたのが、自分が何を震災に対して思うのか、というところでさ、震災の当日どうだったかというのは、勿論覚えているし、大事な経験だけれど、それよりもむしろ感じたのが、この2年間の間に自分が知り合った人が、震災に関してのことをどういう風に携えてきたかということ。例えばこういう活動をしていますとか、こういう境遇の人が僕にこういう話をしてくれましたとか、こういう風に自分の進路を変えましたとか、というのがあると思うんだけど、どんな形でも良いから携えていくことっていうのが大事かなという気はしているんだよね。
【東】先輩が言ってたんですけど、防災というのは、車のバックミラーとサイドミラーみたいなもんなんだと。自分が進んでいくところがどんなところであっても、ちょこっとずつは常に振り返る、チラチラチラチラ見るじゃないですか。それが安全に自分の道を進んでいくために、皆の車にちゃんと備え付けておいて欲しいもの。それはまさしく携えるという言葉がぴったりだと思うんですけど、意識の片隅、心の片隅に置いておいていただきたいなというのは、その通りだなと思います。携えるって本当良いな。
【東】僕は元々大学の時にモバイルの研究をしていたので、携帯電話で、携えることが可能な形の防災、というのは今までなかったから、人間にとっての新しい自然災害に対抗するための武器になると思ってるんですよ。
【加藤】いわゆるサバイバルツールというか。
【東】そうです。僕が大学2年の時に初めて研究会に入って、初めて発表したテーマというのが、ケータイを何だと思っているか、というトピックで皆で話したんです。その時に僕はケータイ刀論という話をしていて、ケータイというのは現代を生き抜くサバイバルナイフだと言ったんです。
【加藤】という話を僕は松村太郎君から聞いているw。
【東】全然図らずしも、全く意識せずに、防災というところに入ったんですけど、考えてみれば今そういう仕事してるなと思います。このツールをいかに災害に強いものに育てていくか、自分自身をツールを使うことで災害に対応できるようなマインドにしていくか、実際に災害が起きた時にツールを使って何ができるのかという部分の、心強い武器になっていてくれたらいいなと思います。
【加藤】結局、防災って最終的にはその人個人個人のマターになってくるんだと思うんだよね。
【東】そうですね。
【加藤】だからこそやっぱり、そこに関わる人達は、入念に道具を準備してあげたり、入念に周辺環境を整備してあげたり、というのを普段からやってかないといけないということだよね。まあでも、昔は国とか偉い人達がそういうことを考えるものだと思っていたから。
【東】受身でしたよね。
【加藤】そうそう。
【東】なんかやってくれるだろうみたいな。
【加藤】それは防災にかかわらず復興もそうだけど、意識が変わったことは、この国のある種の財産というか。
【東】間違いないですね。
【加藤】次の時代に繋がっていくものだし、それこそ風化させちゃいけないんだろうなという気がする。まあでも、長い勝負だ長い勝負だと言って、目の前のことが見えなくなっても良くないし、必要なラインに追いついてない部分もあるだろうから、そこは早急にやっていかないといけないんだろうけど、じっくり臨んでいきましょう。
【東】そうですね。時間はどうやってもかかるから。
【加藤】僕は大学の後輩がそういう仕事にコミットしているというのは、ある種誇らしい思いもあるし、そこに関われることは僕にとっても幸せなことなので、頑張りましょう。
【東】ええ。継続して、頑張っていきましょう。宜しくお願いします。

東 宏樹 (あづま ひろき) 。1982年8月28日生まれ。独立行政法人防災科学技術研究所 社会防災システム研究領域 災害リスク研究ユニットにて、自然災害に対するハザード・リスク評価に関する研究に従事。
慶應義塾大学 政策・メディア研究科にて、モバイル技術と人間社会の関係性に関する研究で政策・メディア学修士号を取得。卒業後はTV制作会社にて映画紹介番組(BS放送)の制作を行い、その後、個人事業主(番組素材制作、Web制作)時代を経て、現職は独立行政法人防災科学技術研究所 研究員。