礒貝 日月
2013.03.27
「出版ボン・ボヤージュ」
礒貝 日月 - 株式会社清水弘文堂書房 代表取締役
大学のラグビーの後輩に、「加藤さんに、そいつだけは紹介したい、という人間がいるんです」と言われていて、そういうことをその後輩が言うのも珍しいので、ドキドキしながら丸の内に出かけたのが昨年の秋。礒貝日月君とはそれ以来、同じ横須賀線沿線住民ということもあり、東京帰りに今日飲もうかと、さくっとビールを酌み交わす仲になりました。
彼の仕事である出版、そして編集。僕の周囲にもそれらに関わる人はたくさんいて、僕も本を読むのは好きで文章を書くのも好きで。ただ僕が自分のビジネスを考えるトーンで、その話ができるのは、きっとこの人なんだろうなという気がしました。大船駅で落ちあって、パチンコ屋の2Fのルノワール。若かりし頃、カナダ北極圏を彷徨し、、環境をテーマにした出版社の代表は、極めて年齢と感覚が近い、飲み仲間です。
北極圏と研究者
【加藤】最初に聞きたいと思っていたのが、北極圏の話なんだけど、『ヌナブト』って最初から本にしようと思って日記を書いていたの?
【礒貝】いや、全然出すつもりなくです。最初はSFCのAO入試の課題のためにやったんですね。入学前までに時間ができるので、1か月ほどカナダ北極圏のヌナブト準州というところに滞在して、8,000字くらいのレポートを書くために、毎日日記をつけてたんです。
【加藤】北極圏に行くきっかけみたいなことって、高校卒業してが初めてだったんだっけ?
【礒貝】最初は小学校4先生の時に、C.W.ニコルさん(作家、C.W.ニコル・アファンの森財団理事長)が、カナダ極北地帯のバフィン島にあるパングニルトゥングという村にテレビ取材で滞在していたんですね。取材が終わった後に、無人島でキャンプしてて、そこに父親と一緒に行ったというのが初めてカナダの北極圏に携わるようになったきっかけです。1990年のことです。
【加藤】それからずっと通ってたの?
【礒貝】いや、それ以来、大学入る時まで、一度も行ってないですね。高校受験の時に「極北の現地の、イヌイットの人達が通っている高校に行ったら?」 ということをニコルさんと父に言われたんですけど、その時はなかなか決心つかなくて、高校は普通に都立高校へ行きました。大学入る時、ちょうど1999年だったんですけど、カナダの北極圏に先住民イヌイットが人口の多数を占めるヌナブト準州というのができて、その研究をしよう思ったのが、スタートです。
【加藤】面白いよね。ニコルさんがある種きっかけで、でも、こないだはニコルさんの本(『けふはここ、あすはどこ、あさつては―C.W.ニコル×山頭火の世界―』)を自分のところから出したわけで。ずーっと続いている付き合いだってことだよね。
【礒貝】そうですね。お会いする機会はなかなかないですけど、おじさんというか。
【加藤】ああ、親戚って意味での、おじさん、ってこと?
【礒貝】まあ、親戚というか、“uncle”っていうんニュアンスでしょうか。小さい時からお世話になっている父の友人ですね。
【加藤】北極圏に高校卒業するタイミングで1回行って、あれだけの時間を過ごして、帰って来てから日本の大学の見え方とか変わった?
【礒貝】あんまり変化はなかったですね。とりあえず、大学入るきっかけのテーマだったので、その後、続ける必要もなかったんですよね、実際は。だけれど、せっかくだから、一つのテーマを決めてやろうということで、ほとんど大学は行ってなかったですけど、僕の場合は。見え方の変化はそんなには感じたことはないです。
【加藤】でも、その後も大学院に進学決めてずっとやっていくわけだよね。
【礒貝】そうですね。大学卒業して、漠然と北極圏に関わりながらの仕事が良いかなと思っていて、となると研究者、大学の教職取りながら、続けられればいいなと思っていたんですよね。それで、修士を出て、2007年4月から大阪にある国立民族学博物館(大学本部は葉山にある総合研究大学院大学)というところの後期博士課程に行って、ただそこで出版の方の仕事が本格的に始まったんで、ストップしたんですけれど。
【加藤】そこは割とパサッと切り替えられた感じではあったの?
【礒貝】元々、出版のことも頭に入ってたので。
【加藤】それは家の仕事だから。
【礒貝】そうですね、家業というのは頭にありました。理想は、理想はですよ、大学院出て、その後、大学に潜り込んで、両方を両立できれば良かったんですね。出版やりながら教職も取ると。そのパターンが一番良かったんですけど、思ったよりも早くタイミングが来て、研究の方は疎かになってしまったという感じですね。
【加藤】でも研究自体は博士課程までやっていたわけだから、研究畑の人達がどういうことをやっているかとか、そこで学んだというところもあるんじゃない?
【礒貝】そうですね。僕のやってたのは文化人類学なんですけど、文化人類学って他の学問に比べて、社会性が強くないといけない学問というか、対人関係、人対人の学問だと思うんです。逆に研究畑を出てみて思ったことは、そのまま研究の道、修士取って博士取って大学に残るというのは、文化人類学にとって、それって良いの? と思っちゃうんですよね。外出てみて、研究の立場を客観的に見れるようになったというか、そのまま進んでる同期とかを見ていて、今の僕の立場に取って都合の良い話ですけど、なんか感じる時はありますよね。
【加藤】イヌイットの世界だけじゃなくて、一般社会というのを見て、そこの相対的な比較で新しく見えてくるものがあるという?
【礒貝】そうですね。偉そうなこと言えないですけど、文化人類学はフィールドワークが基本なので、他の研究者はそれぞれのコミュニティへ行くわけじゃないですか。僕はたまたまカナダ北極圏ですけど、それぞれ民族や社会、地域を対象にしているので、人によってはアフリカ行ったり、中南米行ったり、アジア行ったり、ヨーロッパ行ったりするわけですよね。その中で勘違いしやすいのが、現地で多様性に触れて、だけれども、いざ日本に帰って来ると、日本社会がものすごく狭く感じるんです。でも、これって多様性の勘違いというか、日本社会は日本社会で多様性に富んでいるわけですよね。研究というフィールドにこもっていると、この日本社会の多様性に目を向ける機会が少ないのかな、と出版の仕事を始めて思いました。世界の民族や社会に触れている分、足下を見直す時間って必要ですよね。大学とかってある意味すごい狭い社会だと思うんです。そこでがんじがらめになることの怖さってあると思います。
【加藤】さっき、高校卒業するタイミングで北極圏行って、帰って来て、大学の見え方が変わったかって話を聞いたけれども、以前話した時に感じた気がしたので聞いてみたのだけれど。
【礒貝】今考えると、そこではあまり変化はなかったんです、やっぱり。自分は文化人類学ですけど、色々なことやっている人がいるわけじゃないですか。建築やっている人もいれば、ネットの世界に入っている人もいれば。だから、見え方って多少変わると思うんですけど、今振り返るとそこまで大きな変化じゃなかったんですよね。どちらかというと、さっき言ったように、自分の仕事をし始めて、そこから研究者の見え方が変わった、ということの方が大きな変化であったかなと思います。
清水弘文堂書房という仕事
【加藤】ちょっと出版の方の話をしたいんだけれども、今扱っているのは割とアカデミックないし、エコ系の専門性の高いもの、っていう理解で良いのかな。
【礒貝】はい、そうですね。
【加藤】そういうのはある意味、清水弘文堂書房が昔からやって来たライン?
【礒貝】元々は哲学とか宗教とか。
【加藤】思想とか言われるやつだ。
【礒貝】そうですね、思想とか、あとは俳句とか。色々なジャンル扱ってたんですよね。そういう意味ではあまり軸がなかったのかも(笑)。基本的には学術書の出版をしていて、だけど父の代になって、さらに僕の代になってからは、環境学の本を多く扱ったりとか、後は自分達で書いて自分達で出す、というのもあって。ただその辺は僕は自分で実践はまだできてないです。好きな時に好きなものを出版するということですね。
【加藤】そうすると今度商売として考えていく時の難しさもあってというところだよね。アサヒビールさんのCSR出版の仕事、アサヒ・エコ・ブックス。ああいう企業とある種タッグを組みながらやっていく仕事もあるわけだよね。あの辺の出版社としての面白みみたいなのはどういうところにあるのかね。
【礒貝】やっぱりシリーズなんで、ある程度、統一感持って、継続してできるっていうのは、ありがたいですよね。もちろん、ジャンルは大きく言えば環境というジャンルになりますけど、環境って分野は、結構広い。捉え方によってはすごく広くて。そういう意味では色々なジャンルに対応して、本を出せるというありがたみはあります。
【加藤】僕あのシリーズは『銀座ミツバチ奮闘記』しかまだ読めてないんだけれども、あれも環境の本です、って最初に紹介をされないと環境の本だと最初は思わないタイプの本かも知れないよね。後は今早稲田でやっている、場を作る仕事。それは今どういう役割で動いている形なのかな。
【礒貝】2012年の10月からなんですけども、兄が早稲田の大学院に行っていて、そのゼミの先生で原剛先生という方がいて、早稲田自体は退官されているんですが、元々ジャーナリストで、早稲田の前は毎日新聞で働いてらっしゃったんです。その先生、中国とか農業を専門にされている先生で、岩波書店から出てる『日本の農業』という本が、いわゆるその分野の古典と呼べる本になっています。その先生にご相談があって最初研究室に行ったんです。お話ししているうちに、お酒がすごく好きな先生で、僕もお酒好きなので、盛り上がって。
【加藤】そうだよね。
【礒貝】先生が早稲田を退官された後に、早稲田環境塾というのをやってるんです。早稲田環境塾というのは広く2つ視点があって、環境日本学というのを提唱しているのと、環境キーパーソンを育てよう、というのを柱に社会人ないし学生も含めてなんですが、対外的な講座をして、後は現地で合宿に行ったりしています。現在は大学の組織内に入って、早稲田環境学研究所・早稲田環境塾研究会として、そこのプログラム・オフィサー、いわゆる講座を作る人として良かったら手伝わないという話になって、2012年10月からお手伝いしているという状況ですね。
【加藤】それは清水弘文堂書房として関わっているのか、それとも礒貝日月個人として関わっているのか。
【礒貝】どっちにも良い影響なんですよね。出版社の仕事って人に会う仕事で、どんな面白い人がいるかとか、その面白い人にどんな面白いものを書いてもらうのかというのが仕事なので、そういう意味では新しい出会いの場が作れる。なおかつそれが環境というフィールドでもあるので、今の清水弘文堂書房が出している本にも繋がっていきますし、かつそこからどんどんどんどん人の輪じゃないですけど、なんか生まれてきますよね。
【加藤】そうだよね。それは多分、僕がやっていることもすごい近い。
出版という構造と、編集者というリソース
【加藤】ちょっと、清水弘文堂書房から話を離すんだけど、去年出版で何が一番ビッグニュースだったって、割と一般人の目から見ると、Kindleが入って来て、僕の周囲も本気で電子書籍を買うことをやり始めたというのが変化かなあという感じがしているんだけど、僕のラグビーの後輩とか、先月のブログのアフィリエイト報酬が月10万円とか言ってて、まだ限られた人しか使ってないと思うんだけど、少しプレゼンスを発揮し始めたのかな、という気もしていて。日月君的には電子書籍について今どう思っているかな。
【礒貝】出版自体、「出版」というワード自体が、そんな特別なものじゃなくなって来ている気はするんです。誰でも自由にもの書いて、自分で校正して、出せると。電子書籍は敷居をより低くしていくと思うんですよね。誰もが表現者になれるというか。誰もが表現者で、誰もが読者。そういう意味では電子書籍は良いツールかな、と思います。
【加藤】だけどやっぱり普段から文章書いている人間からすると、Twitterには140文字書けます、Facebookにはもう少しまとまったもの書けます、ブログにはある種パッケージになった文章を書けます、というのはあるけど、「本」書くっていうのはまだ特別なことのような気がしていて、それが電子書籍が出ることによって特別じゃなくなるのかというのは、まだわからないところもあるというか。セミプロにはならないと本は作れないと思うんだよね、電子書籍であっても。
【礒貝】誰もが書き手で、誰もが読者であるんですけど、それがプロであるかというと、ちょっと違うと思うんです。大きく言うと、編集ですよね。編集者とか、編集という仕事。編集という仕事で一つの存在価値を発揮していると思うんですけど、Twitterであれ、Facebookであれ、ブログであれ、いわゆる第三者がその前に介入してというのは滅多にないですよね。ただ、お金取れてる今のネットの媒体というのは、例えば有料のメルマガにしても、利益をあげているものはちゃんとしっかり編集者ないし第三者の手が入ってると思います。それに対してお金を払うかどうかというのは個々の判断で良いと思うんですけど。ただ、編集を出版社自身がしっかりやってるかというと、ちょっときつい面もあって、人的な時間がないとか、コストもかけられないとか、納期に間に合わせなければいけないとか、諸条件があって、あんたはそれのプロなのか、と言われると自信持って言えない、というのはあります。
【加藤】よく昔から話をするんだけど、本屋に行った時に、割と愕然とするタイミングというのがあって、この本屋に並んでいる本、一生かかっても全部読み切れないな、という。あの狭い空間を征服できない無力さみたいなのがあって、それがこの国の出版文化の豊穣さ、みたいなところもあるのかも知れないし、一方で本が出過ぎている、でも読みたい本だけ必要な本だけ読んでればいいや、多くは僕が読まなくても良い本だ、と思えちゃう部分っていうのはある気がしていて、どうなんだろうね。今、出版が厳しいと言っている時に、大きな規模のままで良いのか、というのはあるんじゃないかなあと。
【礒貝】うちもすごい零細出版社で、小さい出版社なので、一概には言えないですけど、多過ぎますよね、数。出版社の数も多いですし、刊行数も多いですし。仕組みというか、出版業界の構造自体がそうさせてる感があります。本を出して、取次会社を通して書店に流通しますよね。それが売れなくてもお金が入る仕組みがある。返品が出たらもらったお金を返さないといけないんですけど、出し続けている限りは回るんですよ。よほど無理をしていない限り、自転車操業で回る。その仕組みはあまり良くないと思います。ただ勿論、うち自身もその仕組みの中に入ってやっているんですけど、新しい仕組みを模索している出版社とか生まれてますよね。自分達で営業かけて、取次とか通さないで、直通で書店さんに卸そうとしている。そうするとダイレクトに跳ね返ってきますよね。売れたら会社は潤いますし、書店にとっても売れないと困る。なので、もう少しそういう変化が起きなければいけないと思うんですけど、それは電子書籍とかになって変わってきますよね。そういう電子書籍がもたらす新しい流通が一般の紙の本に対しても良い圧力をかけてくれると思うんですよね。
【加藤】まさしくそうだと思う。
【礒貝】だからこそ、出版社が出版社である意味というのは、たくさん議論されていることですけど、なんだろうなとふと思ったりしますけどね。
【加藤】それは、僕、コンテンツビジネス全般に関わることだと思うんだけど、音楽でいうレコード会社、ゲームならゲームソフト会社、出版でいうところの編集者にあたる人の価値って言うのが全てだと思う。新聞社も本来的には、新聞記者の個人の資質が全てだと思うんだけど、でもなんかそこがあまり活用されないで、ないし、個性を持って表に出ないで来てしまっている。日月君と付き合っていて面白いなと思うのは、編集者というリソースを色々な使い方しているでしょ。その辺、出版社の未来なのか、小規模出版社の未来なのかわからないけど、面白みが出てくるところじゃないかという気がしていて、出版社が本の著者と出版イベントをします、の枠の外もやってるじゃん。早稲田環境塾研究会とか。その辺に未来があるんじゃないかな、と僕は思っているんだけどね。
【礒貝】やはりちゃんと生き残っている出版社は編集者の強さがありますよね。学術書で言うと岩波書店だったらば、かつて岩波茂雄さんという創業者の強い出版人がいて、現在の社長の山口昭男さんにも一度お会いしたことがありますが、勉強させていただきました。早稲田にある藤原書店と言えば、今もお元気で社長やってらっしゃる藤原良雄さんという個性的で力強い出版人がいて、そういう編集者が色が強くて力強いところは生き残ってやっていると。こういった大先輩もいらっしゃいますし、僕自身は編集者って言うのはおこがましくて自分じゃ自分のことをそういう風には絶対言わないんですけど(笑)。今、加藤さんがおっしゃったように、僕が色々関わってる出版以外の仕事、早稲田環境塾研究会も講座の編集。コーディネートする、人と人を繋ぐとか、こういう組み合わせは良いよなあと考えるのも、編集という仕事で関わっているものですよね。あと今やっている、写真家のブルース・オズボーンさんが提唱している「親子の日」東日本被災地応援プロジェクト「I TIE☆会いたい」プロジェクトとか、伊藤達生(株式会社日経ナショナルジオグラフィック社長)さんと一緒に北極圏のポータルサイトを作りましょうというのも始めているんですけど、そういうのもそういう関わり方から生まれているものだと思います。ただ、そう言っておいて、自分の出版社が潰れたら、その能力がないという証にもなるんで(笑)。
編集が育むもの
【加藤】今聞いてて思ったのは、ある種、自分が育っていくために、自分で何かを直接作るという仕事じゃないから、人を育てながら、人に育ててもらう、みたいな関係性を作っていかなくてはいけなくて、それは本の著者だけじゃなくて、場所もそうだし、もっとプロジェクトみたいなものに対してもそうだ、ってことだよね。たくさん育てゲーやってる感じだ。
【礒貝】そうですね。僕が最初に本を出した時に、父親がまだ元気でいて、父親の出版社、清水弘文堂書房から出したんです。それってすごい抵抗があって、人から見たら、あんた実家が出版社だから本出せるんだ、というのはあるじゃないですか。後はくだらない日記の寄せ集めだったんで、それが本になってしまうのかというのもありました。その時に対面というか直面としたのが、親と子、という関係がある一方で、未熟ながらも書き手としての自分と編集者としての父親というのがあるわけですよね。僕はその時に編集という仕事が何か全くわかってなかったんです。全く。ただ編集者である父が手を入れて、それをある程度プロフェッショナルなものにして世に問う、と。編集という過程が加わっているんですけど、書き手としては意識したことはないので、わからないですよね。それをまざまざと思い知らされたのが一冊目出して、二冊目出した時です。二冊目出した時に、自分である程度意識して、本を出そうと思って、書き手としてこだわって書いたんです。それをまた父が編集するという話になっていたのが、それを出す前に父が亡くなったんですね。そのお別れ会をやる時に合わせて出版しようと思って、材料はあったんですけど、自分で編集して出したんです。ただ、それ編集になってないんですよね。書き手としての自分は、二冊目の本は上手に書けたという意識があって、一冊目に関してはただの日記。上手に書いたっていう覚えは一切ない、殴り書きですよね。編集という料理、があるかないかで全然違うものになってしまって、二冊目の本は書き手としては自信持って出したのに、評判がすこぶる悪いと(笑)。
【加藤】ははは。
【礒貝】かつ市場も、少ない部数ですけど、やはり一冊目と売れ行きが全然違う。一冊目の本の方がちゃんと売れて、二冊目の本は言ってしまえばほぼ売れなかった。そこで初めて編集の仕事ってこういうもんだな、というのを感じられた経験というか。
【加藤】でも逆に言うと、それを自分の経験として最初に持っている人いないでしょ。編集者が、著者として編集を実感するという。そういう意味じゃ面白かったんじゃないかな。後はある種の親父さんとの付き合いの「かたち」なんだろうと思うし。でも今でさえ色々やっていて、忙しそうだけど、次やりたいこととか、これからやりたいこととかありますか。
【礒貝】うちは年間の刊行数少ないですけど、出版の仕事は変わらず、ゆっくりとながら何とか持続できたらいいなと思ってるんですよね。早稲田の仕事は可能な限りこれも続けてやっていけば面白いものになっていくだろうなというのはありますし。あと目下のところだと、北極圏、自分の原体験ですよね。原体験でもあり原風景でもあるんですけど、極北の場から今離れてしまっていて、最後に行ったのはバンクーバーオリンピックの時なので、2010年、もう3年くらい経ちます。人類学、人類学と言いながら、人類学は現場にコミットするのがなにより大事なので、なかなかもう自分で人類学やっていましたって自信持って言えないというか。現場にも全然行ってないですし。でも現場に行かないながらも、過去の経験をアウトプットしていく、という意味ではまだできることあると思うんですよね。それで北極園のポータルサイト、をできれば今年中に立ち上げて、色々な極北の、研究者に限らず、探検家、冒険家、写真家、学生、旅行者、色々な立場の人いると思うんですけど、それが横に繋がるような仕組みを作れたらいいなと思います。
【加藤】そこには絶対編集の力が必要そうだしね。
【礒貝】そうですね。お金にはあんまりならないんですけど、目下としてはそれが一番優先順位の高いやりたいことですね。
【加藤】多分、一つの目標を達成するというよりは、手持ちのものを一つ一つ育てていく。著者さんとずっと付き合っていく編集者のような関わり方を、自分のプロジェクトともしていくんだろうね。
【礒貝】そうですね。急には育たないので。
【加藤】だよね。
【礒貝】本もそうですけど、できあがって終わりって考えるんじゃなくて、本もプロジェクトも人との関係も、ゆっくり育てていければ、育ちながら自分も育つと。そういうのができたら良いですよね。後はお金がついてくれば一番良いんですけど(笑)。
【加藤】そういう小さなエコシステムを、いかにスケールするかじゃなく、密度を下げることなく育てて、それをいかに長く続けていけるかというあたりは、うちと同じだと思うので、お互い頑張っていきましょう。ありがとうございました。
【礒貝】ありがとうございます。
