山本 浩司
2014.01.01
「歴史家が紐解くプロジェクト・デザインいまむかし」
山本 浩司 - キングス・カレッジ・ロンドン 英国学士院特別研究員
浩司君がTEDに出る。そんな話を聞いたのは2年前のことですか。イギリスで歴史家として産業革命時代の経済や商業の歴史を研究する山本さんとは、頻繁には会わずとも、たまに飯を食いながら意見交換する仲です。歴史家という響きとは裏腹に、機関銃のように、喋る喋る喋る。でも、あっけらかんとした、イイヤツです。
一度、研究の話をしているところをちゃんと見たいと思って、彼が科学史の講演会にゲストで呼ばれたのを聴きに出かけたのが昨年の今頃のことでした。そこで耳にしたのが「プロジェクター」という耳慣れない言葉でした。シリコンバレーで、インドで、アフリカで、そして、日本で、華やかなりし、「スタート・アップ」「社会起業」「ソーシャル・デザイン」。さも最先端、と思われがちな言葉たちですが、歴史を紐解けば、400年前のイギリスにも社会貢献をスローガンにしたプロジェクト仕掛人「プロジェクター」たちがいた。そんなビジネス・プロジェクトの歴史を研究している面白い奴が、実は身内にいたのでした。日本になかなかいないので、満を持してこの年の瀬(というかクリスマス)にインタビューをして来ました。是非、歴史に学んでください。
なぜ歴史を選んだか
【加藤】浩司君にインタビューしようと思った時に、最初何から聞こうか考えていたのだけれど、小さい頃、僕好きな科目というか得意な科目が歴史で、あれはなんで好きだったのか今じゃ良く覚えていないのだけれど、浩司君がそもそも研究の領域として歴史を選んだ理由ってあるのかなあと思って。
【山本】それね、2つあって、1つはきっかけの話でもう1つはあとから見て分かったことなんだけど。元々、日本の大学で政治思想というのを専攻していて、それはたまたまその先生の授業が面白かったのと、友達に薦められたからなんだけど、そうするとすごい有名な昔の哲学者の本とか読むわけですよ。プラトンとか、ロックとか、ルソーとか。そこで思ったのが、思想は面白いのだけれど、抽象性の高い難しい文章とかではなくて、もっと抽象性の低い、人の生き様とか価値観とか、生活にすごく根ざした価値とか、信条とか、そういうものに興味があるんだとわかって。
【加藤】具体的なものというか、手で掴めそうなものということだよね。
【山本】それで、あとから気付いたのだけど、僕は父方の祖父母と住んでいて、うちの祖父は98歳で亡くなったのだけど、そのおじいさんがすごい豊かな人で、その彼が「気づき」をくれたんです。おじいさんは腰痛もちだった。だけどテレビを畳に座って見ている。「おじいちゃん、ベッドのところに置いて寝ながら観たら」と言われても嫌だと言う。座って観たい、だけど、腰が痛い。僕はそのころ丁度イギリスで博士論文を書いていて、年末に実家に帰ってきていたんですね。それで、おじいさんがお風呂に入っている間に僕がテレビを撤去してしまって、ベッドの横に置いたんです。「ここで観てね」って。その時は何も言わなかったんだけど、あとから「よくやってくれた!」と言って、おじいさんが手紙を書いて渡してくれたの。すごく嬉しかったみたいで。
お風呂に入る前に孫に何もするなって言ったけど、どうするかなぁって思っていたんだ、って。お風呂から出てきたらテレビがベッドの脇に動かされていて、おじいさんがやって欲しくないって言っても、それでも私のことを想ってやってくれた、そういうことをやってくれた孫がいて本当に嬉しく思うよ「ありがとう、有り難う」と書いてあって。98歳なんだけど、なんだかすごいなぁと思ったの。ゲーテの戯曲「ファウスト」の主人公は世界中の知識を手に入れようとする学者なんだけど、この主人公ファウストにむかって悪魔が言い放った一言がピッタリなんですよ。「ねえ、ファウスト、あらゆる理論は灰色で、緑なのは生命の黄金の樹だ」なんていうんです。おじいさんが書いてくれた手紙は、僕にとっては「生活の黄金の樹」だったと思ったんです。僕が研究したいのは、灰色の理論ではなくて、おじいさんが気づかせてくれた生活の豊かさなんだなぁ、と。博士論文を書いていたころ実家に戻ってこんな出来事があって、それで自分の研究を突き動かす原動力がわかったような気がしたんです。
【加藤】それって抽象的なもので整理できないようななにか、ですよね。
【山本】うん。そういうものが今も昔も日々の生活にはあって、そういうのを僕はきっと掴み出したいんだと思って。それはもしかしたら歴史研究である必要もないかも知れないけど、もし歴史研究をするのなら理論とか、難しい抽象性の高いことではなくて、うちのおじいさんが見せてくれたような毎日の生活の驚くような豊かさを歴史の深みから掬いだしてみたい。それで、歴史の研究なんだけれども、理論的なことじゃなくて経済とか商業とかビジネスやっている人達の、豊かさとかごたごたとかを勉強している、という感じかな。
【加藤】そのテーマに入って行く時って、もう海を渡る前から決まっていたことなの?
【山本】留学したのは2003年で、卒業してから夏に行ったのだけれど、その時はまだ良くわかっていなくて、思想を勉強し終わった後で、そうじゃない、もっとどろどろした、日々の生活に根ざしたものをやりたいということしかわかっていなかった。だから、とりあえず、政治哲学の勉強じゃなくて、歴史の方にしようとは思ってた。
【加藤】その切り替えることだけを考えていたままに、どこの大学行ったんだっけ。
【山本】イギリスのヨーク大学、というところ。
【加藤】そこは、つてがあるとかそういう話じゃなくて、英語ペラペラに喋るわけでもなくて、行ってみたんだ。
【山本】そうだね。もともと帰国子女ではなかったからね。
【加藤】そこで、歴史をやろうという、ある意味、漠然とした問題設定があった上で、今のメインの研究テーマの話をしたいんだけど、今やってる「プロジェクター」に行き着くまでってどういう風に話を絞っていったの?
【山本】それはヨークの先生がイギリスが産業革命に向かって行く17-18世紀の文化の研究をしていて、面白いなと思って選んだんだ。
【加藤】ちょっと興味本位な質問になるんだけど、イギリスって他の国よりも産業革命というものに対する位置付けというか関心というか意味付けみたいなものってやっぱり大きかったりするのかなあと思って。
【山本】むちゃくちゃ大きいと思うよ。
【加藤】やっぱりそうなんだ。
【山本】2009年にも「産業革命のヒーローたち」みたいな記念切手のシリーズが話題になっていたし、映画にも使われるようなエジンバラの有名なパブ「Cafe Royal」の壁のタイルにも、例えばワットの蒸気機関とか、飛び杼とか、有名な発明のとかが描かれていて(The Cafe Royal Edinburgh)。
【加藤】いわゆる紡績工場の。
【山本】そうそう。もともとは1886年の国際エキシビションで展示されたタイルだけど、それがシャレオツなパブの壁画として19世紀後半に転用されたわけ。
【加藤】産業革命ってある意味、歴史を一番イギリス人が具体的に意識しているテーマでもあるんだ。
【山本】そうだね。ネガティブなものなら大英帝国とか奴隷貿易とか色々あるけれど、ポジティブな遺産について言えばシェイクスピアとロイヤル・ファミリーと、あと産業革命もそうかな。
【加藤】三本柱だ。
【山本】そうかもしれないね。
【加藤】前に東大で講義していた、あれは科学史の授業でゲストで呼ばれたとかだったよね。
【山本】そう。あれは駒場の科学史・科学哲学だね。その講座でやっているイベントの一つとして話させてもらった。
【加藤】あの時、少しプロジェクターの話は聞かせてもらって、文字も起こしたからそれなりには覚えているんだけど、日本の人ってほとんど「プロジェクター」って言葉知らないよね。
【山本】うんうん。
今、学ぶべき「プロジェクター」
【加藤】プロジェクターって基本的にはどういう言葉の説明をしているのかなと思って。多分、普段、英語でしか説明してないんだろうと思うけど。
【山本】プロジェクターと言うと変な感じがするけれど、ようはプロジェクト仕掛人のことだね。
今でもプロジェクトXとか、企画物でこういうプロジェクトやってとかあるけれど、17ー18世紀のプロジェクトも企画書書いてという作業と驚くほど似ていて。問題があって、もしくは提案があって、その提案が成果を上げそうで、その成果に向かって一定の時間とお金をつけるというフレームワーク、それを使ってやっていくプロジェクト、というのが大々的に行われるようになったのが、400年から500年前。で、当時のビラとか新聞とかを見てみると、商業のプロジェクトとか、ビジネスのプロジェクトと言われるものが、雇用創出とか技術移転とか地場産業の発展のことをすごく考えてやってたよ、ということなんです。これは西ヨーロッパで特にイタリアから広がっていったもので、似たような動きが1550年くらいからイギリスで起こってくる。
【加藤】社会正義みたいなことへのビジネス的なアプローチということだよね。
【山本】そうだね。だから今、言ってるソーシャル・ビジネスとか社会起業とか言ってるのが、言葉が違ったり形は違っても昔からあったということだと思うけど。ズバッと言ってしまえばね。
【加藤】今と昔のコントラストで言うと、何が同じで何が違うとかってあるのかな。
【山本】ああ、いっぱいあると思う。パラレルの話ね。一つ大きいのは、企業の活動とか利益を目指していく活動でも、やはり何らかの形で社会に貢献する、私たちのサービスは社会に貢献しているんですよって言いたがる、というのがすごく大きいと思うんだよね。例えば、マクドナルドがハンバーガーを売ってるわけだけど、そのうちの肉はアンモニアとかで普通には食べられないくず肉を加工して分解することによって、食べられる加工肉にしている、という批判があって。リーン・ビーフと言うんだけど、それもファーストフードチェーンの広報の手にかかれば、それは消費者に対してより広い選択肢を提供しています、他の方法ではお肉を食べられない人達に、ある程度安全なお肉を食べられるように私たちはしているんですよ、という話になる。我々のやっていることは一定の社会に対する貢献という側面があるのです、ということになる(アメリカのマクドナルドがピンクスライム肉を使用していた理由 – GIGAZINE)。製薬会社が色々な薬を作り、それを沢山の人に消費してもらうことでビジネスが成り立ってる。電力会社がどんどん電気を使ってもらうことによって成り立っている。どちらも我々はより良いライフスタイルを提供しているんですよ、という話になるかもしれない。それは今も昔もすごく似ている。
【加藤】あの時、東大の講演で見せてもらった材料として、古い文書、チラシとか風刺画とかあったじゃない。ああいうのって何かなあと思って考えた時に、PRの材料じゃん。制作物というか。今、広報ということを言っていたから、すごくそういうところに、説得のロジックみたいなものが具体的なものとして見えてくるのかなあと思って。
【山本】昔と今とね。やっぱり説得したいっていう気持ちの裏側には社会的不信があったようなんです。「何だよ、金儲けだけかよ」という不信というのは昔もあって。お金それ自体を目的に稼ぐというのは古代ギリシャ以来ある種の罪悪とみなされたんですね。そういうことが問題視されていた中で、社会に対して、自分のためだけじゃなくて共同体のために、公のために、もしくは神のために、何か貢献ができるということがあれば、金儲けの要素があっても良いのではないかということがルネサンスの時代、イギリスでなら1500年くらいには言われ始めるわけだよね。お金だけ稼いでるんじゃだめじゃないかというのは基本動作として今の企業がやってることだと思うし、企業がやってることをどう伝えていくかプレゼンしていくかということはすごく似てるよね。もう一つパラレルとしてあるのは、そうした社会貢献の約束を皆が真に受けなかったということ。
【加藤】それが風刺画の方だったりするわけだよね。
【山本】そうだね。例えばスウィフトの「ガリバー旅行記」なんかにも蜘蛛の糸から絹を生産して大陸の絹織物と対抗しようとか、ヒトの排泄物から食料を生産して凶作に備えようとか提案するプロジェクト仕掛人が登場するわけ。ビジネスによる社会貢献の約束と、それに対する社会不信、そういう対になった構造は時代が違ってもすごく似ていると思う。個々の企業やプロジェクト仕掛人は、こうした問題の板挟みになる訳なんです。そこに対応の違いや時代の違い、迷いや失敗や苦悩がみえてくる。
【加藤】東大で話していた時に思ったのは、ブランディングって言うものを考えるときにさ、ベーシックな議論としてあるのはブランド・プロミス、約束がブランドですよという話をするんだけど、それを反故にされたということが失敗事例ということになるのかなあ、という気がしていて、企業がこういう約束を果たしますよってPRもしていくわけじゃない。でも実際は違いましたよね、って言う事例をあの時結構出していた気がして。
【山本】約束が実際は違うかも知れないというのは、これだけの収益を上げますという約束に、単純に収益があげられなかったという達成ができてなかったということなのか、もっと問題だと思うし現代でもあり得るのは、ビジネスとして回らなかったという話じゃなくて、社会貢献の内実が摩り替わっている可能性があるわけだよね。例えば、今まではすごく高かったフレッシュなジュースの代わりに、大量生産できるようになった砂糖を入れたアブクの出る飲み物を売ることにしました、これにより、果汁100%のジュースをその場で絞ることが難しかった人にも爽やかな飲料を提供できます。生活を豊かにします。しかしその約束に対して、例えばその炭酸飲料が飲まれることによって肥満が増加し健康被害が出ることもあるかも知れない。そうすると、人々の生活を豊かにします、という約束が、どこまで正確に履行できているかわからない、というのは現代の飲料メーカーが抱えている問題の一つだし、本末転倒してしまうということは今も昔もあることだと思う。
【加藤】一方で、今日何でこんな帽子を被ってきたかというと、これイギリスのLock & Hattersという会社らしいんだけど、「since 1676」って書いてあるわけ。
【山本】ほんとだ。
【加藤】これすごいなあと思って。
【山本】へー、これは珍しい。
【加藤】だから、プロジェクターの話、産業革命の時に失敗に終わったプロジェクトがあったという話がある時に、じゃあ逆に長く続くものってなんなのかということに僕はすごく興味があって、あの講義の後、浩司君と話してみたいなと思っていたのは、社会貢献というか、社会のためになるという目的で、実際は違ったよねということがある一方で、それが今でも続いているし、これからも続くものになる、ビジネスとして未来永劫繁栄して言ったら良いですね、というのが理想じゃん。
【山本】一つ一つのプロジェクトがすぐ終わっちゃわないで、続いていけばいいのにね、という話だよね。
【加藤】そうだね。歴史でもし、長く続かなかったのはこういう理由ですって言う分析をするんであれば、逆にそれは反面教師的な意味で、プロジェクトが長く続くためにはどうすれば良いかというのが、歴史が専門分野ではない人のための歴史の活かし方なのかなあと思うんだけど。
【山本】なるほどね。うーん、難しい質問だなぁw。プロジェクトだとパッと始めて、投資を募って、どうチャレンジしていくかという話だと思うんだよね。それとは別にそれが成立してビジネスのサイクルができてという話になると、どういう風に長続きしていくかとか、形を変えながら手を変え品を変え長生きしていくかという、経営の問題だと思うんだ。だから、そこはスタートアップの時での約束の仕方とか、そこにある不信に対しての応答の仕方とかと、後者の経営の問題というのは、ひょっとしたら別問題という気がする。
【加藤】確かにフェイズが違うかも知れないね。
【山本】そうそう。そこで長生きするという話だったら、例えば1759年設立のウェッジウッドは250年たった今でも根強い人気があるし、ブランドとしてもずっと存続してるわけだよね。最初のスタートアップとしてのやり方、プロジェクトとして立ち上がって行く時だけじゃなくて、その後の経営とかを見ていく必要があるよ。多分、自分のやっている研究は、ビジネス・サイクルのどこに注目しているかと言えば、おそらくスタートアップと起業家を巡る期待感とか不信の問題に割とまだ集中している。
【加藤】そうすると一人で見れる研究分野はある種限られてくる。という時に他の分野と連携するという話をしていたけど、それを聞いてみたくて、例えばこないだ科学史の講座で歴史家が講演するというのも異業種というか異分野のマッチングだよね。
【山本】確かにそれもあるかも知れない。僕の場合だと一応経済の歴史を勉強していますということで経済史ということになったりもするんだけど、実際に経済史の研究者が科学史の研究者と交流するということはないわけじゃないけど、まだ当たり前でもなくて、そういう点では異業種交流だね。
【加藤】あと、アカデミアの外では僕が知っている範囲だとTEDだよね。
【山本】そうそう。最近だったら歴史家というか、博士を取られたたような方だと、「ハーバード白熱日本史教室」の北川智子さんという方がTEDxのトークをやられていて。北川さんの仕事は色々な形で反響があって、それに対して批判的な方もいるし、もっと肯定的な方もいると思うんだけど、具体的な研究の是非はともあれ、色々な形で歴史学の営みが世に出ていくというのは良いことだと思うんだ。自分もそうしたことに貢献したいと思うし、失敗を恐れずに実験したいという気持ちはある。それにはいくつかモチベーションがあると思うのだけど、1つには自分のやってることがどう役に立つか、役に立つってなんなのということも含めて、研究者だけでわかんない部分というのがきっとあってさ。経済史や科学史をやっている人達の中でも十分に見えてくることもあるし、異業種交流で分かることもある。けれども、自分の分野にいるだけではわからないこともあるんだと思う。例えば加藤さんにとっても自分の仕事の何が面白いのかって、考えるのは簡単じゃない。だから逆に聞きたかったのは、こういう風に、インタビューをしたいと思ってくれる、もしくはわざわざ駒場まで足を運んでくれるという時に、こいつに研究の話を振るのはやめようなんて思わないで、付き合ってくれるという時に、一体何が面白いのかということ。研究をしている僕のような人間には、これがなかなか分からない。だから、むしろ何が面白い感じがするのか、教えてほしいな、って思うんです。
【加藤】それはET Luv.Lab.自体をうちはメディアって言い方をして来なかったんだけど、やっぱりインタビューってミディアムというか、専門、プロフェッションとの関わり方として、面白いなあと思っていて、色々な分野の専門家はいるんだけれど、その人達がその場所にいて考えてることって、引っ張り出してこないと、さっき言ったみたいに、使い方がとか、他の分野でその考え方をどう使えるかとか、というのを試せない。ないし、他の分野との考え方の共通点とか、ガッチャンコさせるとすごい役に立つよねとか、そういうことをやる時に、一度コンテンツ化する、人に渡しやすい形にするというのがすごい大事なことだと思っていて、それはブログ書いたり、インタビューしたり、写真撮ったり、全部コンテンツ化だからそうだと思うんだけど、コンテンツ化って何かと言うと、ようは流通させれる形にするってことじゃん。その人を行く先先に連れて回るというのもひとつの方法だけど、一回コンテンツ化してパッケージ化したものを流通させて、何かのマッチングがうまくできそうな時に、渡せる材料とか、話の材料とか、きっかけの材料になり得る。後から気付いただけなんだけど。でもそういう意味で、楽しいというのと、専門性を何らかの形で自分がコンテンツ化してみる、という作業はすごく面白いよね。ET Luv.Lab.って40分くらいの時間で喋っているだけなんだけど、40分話を聞くと、なんとなくわかった気にはなれるのね。次の人にその時聞いたのの4分の1、10分くらいの話は僕ができるかも知れなくて、そういうことをやっていくと自分ができる話が色々増えていくから。
【山本】そこで更にもう一つ思うのは、そこにあえて研究者という種族をコンテンツ化して入れてくるとしたら、何が他の人達が持っている専門性と違ってくるのかな。僕も考えたいくらいなんだけど。学者畑というところから、何かを引っこ抜いてくる時に、他の学者畑でないところのインタビューと、一緒に並んでコンテンツ化される、その面白さって何かな、と思って。
【加藤】なるほどね。結局、学者にインタビューしてるわけじゃなくて、その人にインタビューしてるわけだよね。学者畑に取材の人が来てインタビューしてるって言うよりは、どちらかと言うと、今日もそうだと思うんだけど、僕の土俵に来てもらってるじゃん。だからそれは、ビジネスだろうが、ジャーナリストだろうが、作家だろうが、研究者だろうが、ある意味変わらない。後は元から話をしたことがある人と、一回場をしきって、インタビューという形にしているし。初対面の人ほとんどやってないんだよ、これ。大枠の話を僕がなんとなく把握しているから変に探りを入れなくても自然に話ができる。
【山本】それはあれだよね、加藤さんのまさに加藤企画というコミュニティ・プロジェクトがあって、色々な人達がそれぞれの専門性を持ってできていて、その人達の専門性がコンテンツ化されて、加藤さんもアクセスできるし、他の人もインターネットを通してアクセスできるようになると。
【加藤】でもなんか、それは僕のやり方だけど、浩司君も学会と研究室じゃない場所でも活動してるんだよね。
【山本】僕は長期的にはそういう風な可能性というか、学問の畑にしっかりと根を下ろしながら、同時にコンパスのもう一つの方は別の領域にも出ていけるようになりたいし、厳密な学問とは相容れないと思われがちだけど、挑発的に言えば、二者択一ではなくて両方やれば良い、もしくは両方が両立するような研究を目指すのもありじゃないかと思っていて。
プロフェッショナルとアンパンマン
【加藤】あとは今日話そうと言ってたトピックともかぶってくると思うんだけど、浩司君って人を見た時に、簡単な言い方と専門的な言い方と両方やれるということがあるとして、メディアみたいなものに出ていく時とか、発表の場に出ていくというのは、ある種、編集されるというか切り取られるわけじゃない。浩司君も海外でアカデミシャンとしてのキャリアをスタートさせたようなものだから、そういう人がどういう風に自分を切りだしていくかというかさ、僕がやってるのはコンテンツ化だけど、逆に浩司君は自分の中のある部分を今回はこう切り出して人に渡す、ある意味、アンパンマンみたいなことしないといけないわけじゃない。その辺の難しさというのを今感じているのかなというのと、今日話そうと言ってた、それを日本に対してどういう風にやるのかという話。
【山本】そうだね。これは本当に難しい。僕はロンドンに住んでいるから、いつも東京周辺なり首都圏なりで何かがあると必ず駆けつけられるわけではないし、今のところ日本語の本を書いたわけでもないので、これからはそうしたいと思っているけど、どういう風にやっていくかというのは迷うというか。
【加藤】ジャスト・アイデアなんだけどさ、去年から石巻のアプリ開発している高校生たちに「高校生のためのUXの授業」というのを、今年は4人のUXのプロフェッショナルと僕と石巻繋いで授業をしたわけだよね。例えば、日本の研究者と浩司君がハングアウトで繋がっていて、それを一般の人にストリームで配信して、航空運賃も高いし宿泊費も高いし、ゲリラ的なことで東京と一緒にやるみたいなことできたらいいよね。
【山本】それできると思うし、やってらっしゃる方がいるんだよね。それはまさにさっきの東大の駒場の科学史の、その中でも特に活発に活動されている方達がいて、オランダで活躍されてる日本人の科学史家でヒロ・ヒライさんという方がいるんだけど(錬金術の歴史研究のためのサイト bibliotheca hermetica)、ヒライさんと東京ベースのルネサンス研究者根占献一さんが中心となって共同プロジェクトをやっている。東京で彼らのセミナーがある時にもWebで中継したり、YouTubeに録画したり、Google Hangoutで新刊本の著者インタビューとかもやってるんだよね(Marsilio Ficino – YouTube)。彼らの仕事は、科学史もしくは科学に関する思想史に特化してるんだけど、これまで学問分野、特に文系ではあまりなかった試みが行われていて、そういうのはどんどん色々な分野でも参考にしたらいいだろうし、僕もそういったようなことは形を変えて、やりたいなあ、そういうところに参加していけたらいいなあと思うよ。
【加藤】スタートアップの研究している歴史家なわけじゃん。だから、もしかしたら、アカデミアの中でのGoogle Hangoutではなくて、現代のスタートアップを研究しているというか、支援している人と繋いでとか、東京のソーシャルビジネスをサポートしている団体にメンターみたいな形で入るとか、かなり思いつきで言ってるけど、面白いなと思って。
【山本】ニッポンのモノ作り、「新しい市場の作り方」について本を書いた三宅秀道さんという方が、僕が駒場で発表をした時に来てくださってね。三宅さんは企業訪問が研究の土台になっているような方で、そういう方と一緒にGoogle Hangout使ってやったりとか、もしくはCSRとかスタートアップのことを研究もしくはサポートしている方とかと実験的にやっていくというのはすごい面白いと思う。こういうクロスオーバーって、あまりやれてないことだと思う。相互に専門性の垣根を少し超えて、それによって何が見えてくるのか、何かできそうか、何か役に立ちそうなことがるのか、もしくは知恵が必要な時にどんな風にお互いに補完できるのかとか、こんなことを考えてみたい。
【加藤】インターネットでいうところのマッシュアップみたいなことだよね。いいね。
【山本】そうだね。面白いね。
【加藤】そういうのを口火に自分の研究内容が日本の若い人達に知られていく、一緒に連携している人達とできあがっていく、やっぱりアカデミアの世界だと著作物を流通させるというのが一つすごい大事なことだけど、もう一方でそういう関わり方も面白いかも知れないね。
【山本】うん、自分の持っている専門性というものを犠牲にせずに、ただそれが、さっきのアンパンマンじゃないけど、こういう形でも使っていただけます、もしくは、こういうことにも使えるかも知れません、という具合に風通しをよくする工夫ということだよね。現代のメディア、ブログとかFacbeookとかのおかげで色々な分野で風通しが良くなってる側面もあると思う。政治家だって、大学だってFacebookページを持つ時代になって来たし。あとは技術を使うのは僕ら次第だから、そこを活かしていく。それが大切だよね。
【加藤】じゃあ、僕が企画できるかわからないけど、なんかできないか考えておくことにします。
プロジェクターとしての研究者
【山本】ひとつ振ってみたいなと思ったのはさ、研究者というのは生態として明らかになっているもの?研究をされてない人から見て、この人達何しているのかというのがどれくらい自明なのかという。
【加藤】全然イメージわかないだろうし、僕がひどいのは、大学在学時代に研究室に所属していないから、そもそも自分のゼミの先生すら見てないので、そういう人の暮らしを全くイメージできない。一方で社会人になってからどうかというと、意外と僕、大学で教えているような方とも付き合いがあるので、そういうので人柄とかはスゴイわかる。
【山本】なるほどね。なんでそういう話をあえて出したかったかというと、これから10年、20年とか、もっと長い期間考えたときに、日本だけじゃなくてヨーロッパでもそうだけれど、大学っていう組織に研究者みたいな変わった種族をどうやって確保して、どういう風にそういう人達を役立てていきたいですかという時に、それって研究者だけが決められることじゃないじゃん。血税を教育とか研究にどれくらい割くかという話にもなるわけだし、それで経済に直結しないかも知れない哲学とか文学とか宗教学とか歴史学とか、そういったところにも国のお金を、もしくは皆さんの税金を使っていくということにもなるわけでしょう。直接・間接にクラウド・ファンディングするんだったら、どういう風に一般の人達、いわゆる「ステークホルダー」とつながっていくか、金銭的にも、そうじゃない社会的な部分もどうやってつながっていくかという時に、研究者の実態がどうなっていて、それが社会全体の生態系の中で、研究者という種族がいることが、これからどういう風に機能させていくのかというのを考えるのも、研究者だけじゃあ難しい。
【加藤】でもそれは今話聞いていて言いたいことが3つあって、1つはそもそも研究者ってプロジェクターっぽいよね、ということ。ようはこういう研究をしますよって言って、じゃあ公共のお金をくださいという話をして、そこに到達するために皆頑張って、成果物を出して、っていうのが構造としてあるわけじゃない。
【山本】全く、全くその通り。
【加藤】そこがあるというのが一つと、そこはフリーランスだけの話をするつもりはないんだけど、あれ多分ヨーロッパの人が書いたんだけど『Work Shift』という本が日本でも今年話題になって、今までと同じ働き方じゃだめじゃん、という風潮になってるわけでしょ。ちょっと前からノマドとかフリーエージェントの話とかあったし。という時に研究者の研究者という働き方は、前の人が研究者としてこうだったから、今の研究者の働き方もこうです、っていう話じゃない基本的には。
【山本】そうだね、今の僕らが漠然と前提にしているのは、研究者は大学によって地位と報酬がある程度保証されていて、そこにある種の日々のノルマという、すごく厳しいリターンオブインベスティメントによる評価を問われずに、自由までいかないにしても研究ができますよというのが漠然としたイメージかな。それが古いイメージということでいいのかな。それを変えないといけないということかい?
【加藤】多分、場所によるんだろうけど、日本の大学とかだと、よく言われているのは、大学が余っていて、生徒が足りなくて、統廃合が進んでますよってなったら、当然、研究者の待遇もよくなくなるわけじゃん。という時に、自分のプレゼンスをどうやって作っていくかという話になったら、よくある本だと、起業家のように会社で働くとかさ、Work Shiftみたいなこととか、働き方自体の議論が研究者に対して行われる可能性もあるよね。逆に言うと、一般社会の人達がそういう議論に巻き込まれつつあるのに、研究者は大丈夫ですよというほど、がっちりした仕組みに守られてるわけでもないという気がする。
【山本】ないね。そこは今、ポスドク問題ということがすごく言われていて、大学が減っていて、大学の経営もかなり厳しくなっている中で、博士を持っている人達というのは相対的に増えている。その人達が社会に、もしくはアカデミアにどういう風に役に立ってくのかというのが、筋道が立ってないと。そこもWork Shiftの一例として考えれば、「我々の保護を」という労働運動的な側面だけでは駄目で、もっと他の議論も必要かも知れないよね。身分の保障をとか、ちゃんとしたペイをとか、それはそれですごく正当な議論だとは思うけど、そこでWork Shiftとかノマドとか含めて見れば、広がっていくよね。
【加藤】産学連携とかもあるしね、色々な動きがあると思うけど、皆が皆、研究室にいれば幸せですという人じゃないだろうから、直接的な解決策じゃないだろうけど、そういうところにもヒントがあるのかなあ、という気はする。
【山本】そうだよね。
【加藤】最後に、僕が3つと言った最後は何かというと、こないだユレッジで児玉龍彦先生が言ってた話で、「科学者はもっと現場に出るべき」と。そこにイノベーションの種があるということがあって、じゃあ、それぞれの研究者にとって現場って何か、それぞれの研究者が考えて、問題設定を見つけていかなければいけなくて、多分、あの時おっしゃっていた、福島の除染されているような人だから、研究者が今まで問題設定していたような場所ではない。で、成果物も自分の研究成果として作ったという話じゃないじゃん。自分がそこで役に立つから、検査機を作ったという。
【山本】そうだね。それは現場があることによって、研究なり、そう言った学問的な領域も刺激されてるということだよね。現場があって、学問的な研究者としての営みがあってということだよね。
【加藤】例えばスタートアップの研究をして居る人が、スタートアップの人と投資家の人が喫茶店で話をしているのを横で聞いたことがあるかとかさ、そういうのもそうかも知れないし。
【山本】研究者の人に対して、「研究者よ、現場を持て」というのはすごい面白いし、挑戦的なスローガンですね。特に人文系の人だったらドキッとするかも知れない。自分だったらどう答えたらいいか、ちょっと分からないですよw いや、我々の普段の生活世界こそが現場ですとなるかも知れない。けれども、色々なレベルの現場があっていいだろうし、それは積極的に探しに行くようなものかも知れない。
【加藤】僕もさ、昨日まで石巻行ってたじゃん。ああいうところ行くと、自分が持ってる現場と違うところに置かれるから、嫌でもいつもと違うこと考えるんだよね。それが元戻ってきたら新しい形で動かせるとか、そういうのってあるんじゃないかなと思って。
【山本】そうだよね。そういう運動で、研究者がやるのは、学会に行って発表するとかになるんだよね。
【加藤】後はフィールドワークか。
【山本】そうだね、フィールドワーク。これは分野次第かなぁ。歴史学とかだと、自分の研究のフィールドの外に「現場」というのがいつもあるとは限らないし。
【加藤】そういう意味で言うとヒントなのは、研究としてのプロジェクトじゃなくて、全然違う畑のプロジェクトのメンバーとして研究者が一人入るというのは面白いかも知れないよね。
【山本】うん。というのは、研究自体もプロジェクトだけれども、自分自身の専門性を他の人に提供して、それで見えてくるものがあるということだよね。
【加藤】まあ難しいのはアカデミシャンは研究のプロフェッショナルなので、自分の研究そのものを無下にしてはいけないということだよね。
【山本】それは間違いない。ぞれは絶対。本末転倒はしちゃいけないと思う。研究を続けなくなってしまうとか、研究のあゆみを止めず、更新し続ける必要はあると思う。
【加藤】歴史を海外に出て日本人がやれるイメージって、もしかしたら浩司君にもロールモデルっているのかなと思うんだけど、意外とそういうことできると思っている学生とか少ないんじゃないかなとか思って。
【山本】社会科学では随分いらっしゃると思う。イギリスだと経済学の方は例えばエジンバラ大学の河村耕平さんがおられて、日々の発信もツイッターとかでされているけれど、文系だとがくんと減るかな。特に僕らみたいに東洋、東アジアの人間が、ヨーロッパで歴史を教えるというのはマイノリティかも知れないですね。こないだ友人と話していたのは、これもどうやってアンパンを渡すかという話だと思うのだけど、アジアから敢えて西洋史なり西洋の歴史を見るということ、どんな面白い視点がそこから出てくるのかということを、考えていったら良いんだと思う。
【加藤】そうだね。
【山本】それは西洋史という学問が、「EKIDEN」とか「TSUNAMI」みたいに、「SEIYOSHI」として英語の辞書に載るとしたら、そこにどんな記載ができるのだろう、ということだと思うんです。東アジアの人間が西洋の学問的伝統を土台に、西洋史を東アジア発でやっていますということの面白さってなんなんだろう。それがしかも日本人にとって面白いだけじゃなくて、それ以外の人にも面白いとしたら、それはなんなんだろう、ということってまだ皆わかんないんだよね。けれどもそれは、ロールモデルってことにうまく答えられなかったかも知れないけど、大きな大きなこれから半世紀くらいで見つかるかどうかの大問題だと思っていて、日本人が西洋史を勉強する、研究する時のとても大切な問題だと思う。
【加藤】越境者というテーマで、あの時にTEDで喋っていたけど、言語の壁を超えるというのは英語を喋れるようになることじゃない気がしていて、言語が壁を越えようとするってどういうことかというと、今言ってた、西洋史というのが言語の壁を超えて世界に流通するものになったら、壁を超えたって言うことになるのかも知れないね。
【山本】うん、言語だけじゃ多分なくて、Far East、極東にドイツから先生たちが来て、西洋式の大学が日本にできて、その中で哲学を勉強し、歴史を勉強しという中で、日本の学問的蓄積ができてきて、その学問的な伝統に根ざして、そこからもう一度、西洋の歴史を見直していった時に、そこから立ち上がる視点ってなにがあるのかなあと。この文脈だと、日本人歴史家としてアンパンを切り分けて渡す相手は日本社会ではなくて、ヨーロッパなり英語圏のアカデミアということになるのかな。
【加藤】それってすごく具体的なイメージのものを研究したいと思ってイギリスに渡った人が、最終的にすごい抽象的な概念を運んでくるっていうことになるのかもね。ディテールはあるだろうけど、西洋史、って言う概念を運んでくるというのは、すごい面白いよね。
【山本】そうかぁ。そんな風には考えたこともなかったよ。
【加藤】なんかいつにも増して、インタビューというより対談のようになってしまいましたが、とても面白かった。
【山本】ありがとう。特にさっきのアンパンマン的な切り分けというところは、多分これからどんどん、僕自身も含めて試していかれたら面白いと思うんだ。アカデミアの内外で越境しながらね。それが色々なきっかけになるかも知れない。
【加藤】そういうの、お金かけず、手間もかけず、最小コストで最大限やるというノウハウは僕のところにもあるので、是非是非ご相談いただければ。
【山本】そうですね、今後もよろしくお願いします。
【加藤】ありがとうございます。
